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SUBARUの読書感想文#4『読書について』著:ショーペンハウアーを読書した件
簡単に言おう。この本は、読書版のダイエット本。
主張としては、
①ただ読書をしすぎると、物を考えることができなくなる。
②悪書は毒である。
③勉強と読書はいつでもできるが、思索をするのはたまにしかできない。そして、思索こそが最も大切だ。
ざっくり、こういうこと。
心に刺さる一文も載せておく。
読書は思索の代用品にすぎない。
悪書を読まなすぎるということもなく、良書を読みすぎるということもない。
真に価値があるのは、1人の思想家が第一に自分自身のために思索した思想だけである。
「1日を多読に費やす人間は次第に自分でものを考える力を失っていく」
という有名な一節があるこの本だが、私自身も1日を多読に費やすことは珍しくない。しかし、もともと本を読むということはゲームをやる感覚、思索というのはゲームを作る感覚であったので、そこら辺は衝撃を受けない。
ただ、ものを考える力を失う、とか足跡を辿るだけで、悪書を読めばむしろ毒、とかそこまでは思わなかったので、とても面白い。
この本は、ズバズバ言うタイプのおじさんが最近の読書メタボな人間を斬る!みたいな内容なので、著者は一応19世紀の哲学者ですが、今、自己啓発書のコーナーにあっても売れると思うし、読みやすいので、哲学とか関係なくおすすめです。
それから、よくいる「これ知らないの?そこは抑えとこうよ〜」という文化人気取りのクソ野郎とかを、冷静な目で自分の思考から引き剥がせるかもしれない。
何が悪書で、何が良書か。そんなの人の勝手。だけれど、実は時代が決めた古典だって刺激的な良書は多いのだ。ぜひこの機会に古典そのものを手に取ってみては。