戦場のピアニストと角野隼斗

2024年6月10日の深夜、とあるWEBサイトが更新された。
そこには、ひとりの日本人ピアニストの名が記されていた。

『Hayato Sumino』

ポーランド国立放送交響楽団(NOSPR)と指揮者マリン・オルソップとの再共演の報せだった。しかも楽団の本拠地、ポーランドで。そのうえ当公演は2024-2025シーズンの開幕公演という大抜擢。
追記:なんと開幕公演というだけでなく、この日はホールオープンから10周年の記念日!

NOSPRとマリン・オルソップ。角野隼斗を語る上で、絶対に外すことができない楽団と指揮者である。2022年、彼らはまだ海外オーケストラとの実績がほとんどない角野を来日ツアー11公演のソリストに選んだ。

角野がソリストを務めたのは、前年のコンクールで敗れた角野がワルシャワで弾くことができなかったショパンのピアノ協奏曲。

当然のことながら、この曲を角野が弾くことを切望していたファンは多かった。しかもショパンの故郷であるポーランドのオーケストラとあって、日本中のファンが歓喜し期待に胸を躍らせた。
ツアーは初日から大いに盛り上がり、回を重ねるごとに親密さを増す演奏から、観客として聴いているだけでも相性の良さが充分すぎるほどに伝わってきた。
その相性の良さ、離れがたさは、千秋楽に当時の副指揮者ネストル(現常任指揮者)の手によって、指揮者オルソップと深い縁のある『キャンディード序曲』をピアノ入り版『Ca(teen)ndide Overture』に急遽編曲されたものをアンコール共演するというサプライズまであったほどだった。

(当時の雰囲気を感じてもらえそうな感想文があるので貼っておきます)

そのときから2年での再共演。ずいぶん間が空いたようにも見えるかもしれない。が、22年9月のツアー時点では、直近22/23シーズンの枠などにソリストの空席があるはずもなく、概ね翌年~23/24シーズン頃の計画も互いにほぼ埋まっているような段階だっただろう。
想像でしかないが、オルソップとの共演も今年の夏から連続でアメリカ公演が決定していることから、おそらく共演で角野を気に入ったオルソップが最速でスケジュールを押さえたのが今年の夏~秋だったのではないだろうか。最近放送されたラジオ番組で、NYに住むための推薦状をオルソップが書いてくれたとも明かされた。
つまり22年の共演の後からとても良い関係が続き、満を持してシーズンの開幕公演のソリストとして迎えられたということではないかと思う。

しかし、そこだけではなく。注目したいのは、そのプログラム内容だ。

バーバー 交響曲1番 作品9
シュピルマン ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ(ピアノ協奏曲)
―・―・―・―
ブラームス ハイドンの主題による変奏曲
ガーシュウィン ラプソディー・イン・ブルー

ガーシュウィンといえば角野隼斗と言っても過言ではない程、馴染んだプログラム。と、もうひとつピアノ協奏曲がある。
シュピルマン……もしかすると今ここを見ている人にとって見覚えのない名前かもしれない。少なくとも音楽室の壁に並んでいるような誰でも知っている作曲家ではないだろう。
私も最初すぐにはピンとこなかった。しかし、シュピルマンは角野と浅からぬ関わりのある音楽家だった。
映画『戦場のピアニスト』と書けば、知る人も多いのではないだろうか。そう、彼こそが、そのモデルであり、原作となった回顧録を出版した人物なのである。

角野は折に触れ、この映画や書籍について話題にしてきた。英語版を愛読しているほどで、SNSでの本人談によると受験期に形容できないほどの衝撃を受けたとのこと。

シュピルマンはポーランドの国営ラジオ局で働いていたので、NOSPRとは血縁といってもいいほどの縁だ。(NOSPR=Polish National Radio Symphony Orchestra)こうなると、角野隼斗とNOSPRは出会うべくして出会った、のような陶酔さえ感じずにいられない。

さて、このウワディスワフ・シュピルマンのピアノ協奏曲。10分少々の短い曲で、ビッグバンドを思わせるような活気と色気のあるドラマティックさがとても聴きやすい。この記事を書き始めた当初は下記のアルバムで再生できた。が、何かしらの事情か、現在は聴くことができなくなっている。
とはいえこちらのアルバムは貴重な本人のレコーディングなので、白字の数曲だけでもぜひ聴いて欲しい。

(jplayerで辛うじて全曲の冒頭が視聴できます)

曲を聴きながら、オルソップや楽団が角野にシュピルマンを弾く機会を設けたのは、どんな意図があってのことだろうと、考える。
ポーランドの歴史の証人である音楽家なのだから、誰であれ、次世代のピアニストに継いで欲しいのは間違いないだろう。知らないだけで、演奏機会そものも多いのかもしれない。
それでいて、オルソップから見て、ジャズや即興に強みがある角野にピッタリだと思ったかもしれない。
即興の入る余地があるかどうかは分からないが、ともすれば映画により悲劇のイメージが付いて回りがちなシュピルマンの音楽にあるポップさや華やかさを魅せることができるピアニストとして、ふさわしいと信じたかもしれない。
シュピルマンは戦争を生き抜き2000年の88歳まで生きた現代人で、コンサートで世界中を飛び回りながら歌謡曲や映画音楽など、数えきれないほどの曲を世に遺した音楽家。今もなお多くのミュージシャンたちに敬愛され、カヴァーなども聴くことができる。

興味深いことは、今回の曲が開戦翌年の1940年に作曲されていること。映画の中で1939年から描かれていることを考えると、戦場のピアニストのイメージとは少々かけ離れているように思う。あの戦禍で書いたとは……あるいは、むしろ戦禍だからこそだったかもしれない。音楽から彼の生命力がみなぎっているのを感じた。
角野が持つ華やかさにも言い表しようのない生命力を感じている身として、角野なら、シュピルマンが描き、望んだ、いのちあふれる音楽を奏でられる、とオルソップが感じたのではないかとも思った。
奇しくも作曲当時のシュピルマンは29歳。今の角野と同じ年齢なのも偶然は必然といえるのかもしれない。

とりとめのない戯言になってしまった気もするが、2025年の今頃にはショパンコンクールが開催されるポーランド。その地に、前回のショパンコンクールから実に3年の時を経て、ポーランドの国立オーケストラのホームに角野隼斗が立つ。しかもシーズンの開幕を宣言するオープニングコンサートであり、戦場のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの曲を演奏する。このことを、なにかしらの形で書いておきたかった。

3年前の10月は、ポーランドの地が苦い思い出になった時間でもあっただろう。来日ツアーでコンチェルトを弾けたこと、また、録音できて動画として残すことができたことで、区切りはついていたこととも思う。

それでも、ポーランドの地に再び赴くことで、ようやく、ようやく、角野隼斗のショパンコンクールが終われたのではないだろうか。
ショパンコンクール当時、配信していたYouTubeのコメント欄にはポーランド語の絶賛も少なくなかった。
「このポロネーズを何年も待っていた」「ショパンの本質が聴こえた」「彼はファイナルに行くべきだ」など……ショパンの国の人からの絶賛に感激したのを今も覚えている。
晴れ晴れとした顔で、ポーランドで彼を待っている人たちの前に立つのだろう。

私はその場に行くことは叶わない。しかし前だけ見て進んできた角野隼斗の今に、こうして立ち合えていることがとても嬉しい。

しかも、このコンサートは、ポーランドラジオのサイトから聴くことができるかもしれない。(WEBで放送されない可能性や、リンク先が違っている可能性もあります)
放送案内ページ

生放送で放送予定枠は10/4(金)19:00~22:00(開演19:30)
日本時間10/5(土)2:00~5:00(開演2:30)
(深夜なのでわかりにくいですが10/4の26:30~、ですね)


※当記事は、6月10日頃に書いたものを再編集しています。追記などするかもしれませんが、ひとまず公演の前に公開とします。ほんとまとまってなくてスミマセン。

かてぃんさん、楽しんできてくださいね!


追記
この記事を投稿しようとSNSを立ち上げたら、ご本人も(明るい)シュピルマンのことを投稿していました。なんてタイムリー!


20241010追記:シュピルマンのワンシーン


戦時中に生まれた音楽、というと暗くて絶望的な音楽を想像するけれど、むしろそういう時こそ明るくて希望のある音楽が必要だったんだろうな、とシュピルマンの音楽から感じるのである

https://x.com/880hz/status/1844261230997012622

公演後、帰国してからまたシュピルマンの曲についての投稿がありました。
投稿の言葉が記事中に書いた《むしろ戦禍だからこそだったかもしれない》とリンクしたような気がして、前に書いたアンダーソンの記事が浮かんだりも。

アンダーソンの音楽は、ただ底抜けに楽しいだけでなく、フッと憂いを見せることがあります。『生き残った我々にもいろいろあるよね、だけど僕たちは生きているじゃないか。さあ、数分間でいい。僕の音楽で笑おうよ』そんな声が聴こえてくるような気がします。
同じ頃、戦争で負けてしまった日本でも、明るい歌が大流行していました。
独りでは水底に沈んでしまいそうな気持ちの人々が、こういった音楽によって立ち上がるチカラを得て復興を遂げていったのだと思います。

https://note.com/subano/n/n5f1b575ef81b

公演をラジオで聴いたとき、終演後の時間にシュピルマンと関連した曲として同じ時代を生きたパヌフニクという作曲家の曲が流れました。
彼女の曲はシュピルマンのこの曲とは違い、戦争への負の感情を込めて作ったような曲でした。
戦争だから明るい曲を、もあって、戦争だから暗い曲を、もあるのだと思います。一面だけでない様々な戦争を、音楽を通して感じることができるのは、当時を命がけで生きた音楽家がいるからに他ならないのだと思いました。

そして様々な国の音楽に触れる機会をくれるかてぃんさんと、同じ時代を生きている、そしてときに同じように感じ気持ちを共有できる、そのことの尊さを感じます。

公演の感想はこちら。


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