たったひとりで出版社を設立。「読書日和」代表 福島憲太さんが「本」にかける思い
「あったらいいな、こんな本」をカタチにする「読書日和」は、静岡県浜松市にある出版社。フリーライターとしても活動する、代表の福島憲太さんがお一人で経営しています。
大学卒業後、一般企業で人事労務の仕事に就いていたという福島さんは、いったいどのような経緯で出版社を設立することになったのでしょうか。そしてなぜ二足のわらじを履く生活を選んだのか。お話を伺いました。
プロフィール
一般企業等で10年間勤務。その後、出版社での勤務を経て「読書日和」を設立。金子あつしというペンネームでフリーライターとしても活動中。著書に『風疹をめぐる旅』『ひかりあれ』がある。先天性の白内障と小眼球(右目)による視覚障がいがあり、右目はほぼ視力がなく、左目は0.08と弱視。
人事から出版社設立へ
福島さんは一般企業を退職したのち、知り合いから声を掛けられ出版社に転職。新しい職場は群馬県だったため、地元の京都から移り住みました。
出版社では本の宣伝をしたり、自費出版してくれそうな方に営業したりするなど、本を売る仕事に携わっていたといいます。
「出版社で働き始めた頃は、独立なんて考えていませんでした。ただ、出版社の経営状態が悪化してしまって。出版社での仕事がとても楽しかったし、昔から本が好きだったので独立しようと決心しました」
知人の出版社を退職し、2018年6月、読書日和を設立。当時住んでいた群馬県みなかみ町は豪雪地帯で、冬場には身長ほどの雪が積もることもありました。そのため、独立から半年後、静岡県浜松市に拠点を移します。
「浜松は起業家を応援する都市なんです。商工会議所で、いろんなセミナーや交流会が開催されていて、起業したい人に開かれた環境でした。それに、地元の関西に行くにも関東に営業に行くにも地理的にちょうど良く、行動しやすいなと思ったんです」
起業家向けの交流会やセミナーには積極的に参加し、人脈を築いていきました。地元メディアの方と知り合う機会もあり、本を出版するたびに紙面で取り上げてもらえるようになったそう。静岡に拠点を移して本当に良かったと話します。
たったひとりでの経営
読書日和は、「自費出版したい方のサポート」と「福島さん自身が執筆した本の出版」の2本柱で事業を行なっています。営業から経理までを福島さんが担っており、外注しているのはブックデザインや印刷のみ。
ただ出版するだけでは本は売れないため、浜松市内の書店を回ったり、取り上げてもらえそうなメディアに本を郵送したりと、自分の足で営業しているといいます。
「今はコロナ禍なので、なかなか足を運べていませんが、営業活動には力を入れています。いろんなところを訪ねてチラシを配ったりもするので、時間を取られてしまいます。
特に新しく本が出たばかりのときは、執筆活動ができません。逆に執筆活動をしているときは、営業活動ができません。時間のやりくりが現状の課題ですね」
外注や人を雇うことも考えたことはあるが、この営業スタイルでよかったことも多いのだそう。お客さんが本を購入する姿を見たときや、本を直接手渡しできるときには、心からやりがいを感じるといいます。
また、福島さんは自社の特徴をこう話してくれました。
「私自身が現役のフリーライターなので、文章を書く楽しさも大変さもわかっています。自費出版で本を出したいという方の、苦労しているお話も聞きながら、編集・発行を二人三脚で進めていけるのが弊社の強みです」
出版社としてのやりがい
今年2月には、視覚障害者就労相談バンク有志により執筆された、「視覚障がい者と就労」がテーマの『あまねく届け!光』を出版。本書は、見え方も業種も異なる、視覚障がいを持った31人の文章が寄せられた本です。
視覚障がいがある方やそのご家族など、多くの方からの反響を呼び、重版するに至りました。
「視覚に障がいのある方にとって、活字は読みづらい、あるいは全く読めない。そういう方がお金を出して本を買うだろうかという懸念がありました。しかし、実際に本を出してみると、非常に多くの方に読んでいただけたんです。音声読み上げソフトを利用できるよう、テキストデータ引換券を付けている点もご好評いただきました。
また、視覚障がいのある方だけではなく、晴眼者(視覚に障がいのない人)から『勉強になった』『背中を押された』などの声をいただけたのも、励みになっています」
仕事と真摯に向き合う姿勢が記されている本書は、障がいの有無に関わらず、すべての働く人にとって学び多き一冊だといいます。
自分のルーツ
幼い頃から、読むことや書くことが好きだった福島さん。新聞に投書したり、図書館に通ったりして、本や文章にふれていました。近所の図書館に所蔵されている図鑑は、すべて読み切ったんだとか。
京都の大学に進学する際は、臨床心理学科を選びました。その理由も「本」だったといいます。
「高校時代、椎名篤子さんの『家族「外」家族 精神科に駆け込む子どもたち』というノンフィクションの本を読んで、とても感動したんです。登場するカウンセラーや精神科医の方の人柄があたたかくて。こんなあたたかな人になりたいと思い、臨床心理学科を目指しました」
金子あつしというペンネームは、尊敬する作家の、金子みすずさんと、椎名篤子さんから名付けたのだそう。
大学を卒業したあとは、障がい者枠で就職活動をしました。数えきれないほどの企業に応募しては落ちる日々が続き、疲れ果てていたといいます。
「ほとんどの企業は、職場でできるだけ配慮をしなくて済む人を採用したがっていました。それに気づいてからは、障がいがない人と変わらずに働けるということを、ちょっと盛りながらアピールしました。そんな就職活動に虚しさを感じたこともあります」
現在の、出版社の経営とフリーライター、二足のわらじを履く生活は、大好きな本に関わりながら興味あるテーマで執筆もできる。大変なこともあるけれど、自由なワークスタイルが自分に合っていると話します。
今後の展望
今後は、戦争に関する本の復刊を手掛けてみたいのだそう。
「戦争のドキュメンタリーを見るたび、まだまだ知らないことが多いなと感じます。戦争や復興についての意識が薄れつつあることに危機感を抱いているので、記憶に留めるためにも復刊を手掛けるのが夢です」
執筆や取材をする際は、下調べを徹底的に行うのがモットー。ノンフィクションの本を執筆する際は、完成までに半年〜1年かかります。
「納得のいく下調べがないと、本質には迫れません。1作目の『風疹をめぐる旅』を出版したときは、9ヶ月間、京都大学医学部の図書館に通って、論文を読みながら執筆しました。一番大変だったのは、論文を探すことです。英語やドイツ語だったり、表紙がどれも同じだったり……。正直に言うと、今はもうやりたくないです(笑)」
山のようにある論文を探して読み解くのは、気の遠くなる作業に思えますが、自分が執筆したいテーマなので苦ではなかったといいます。
「わたしは、左目が0.08、右目はほぼ視力がない。それなのに、ルーペを使いながら時間をかけて論文を読み、執筆と出版までしています。他にこんなことしている人いないんじゃないかなって。でも、誰もやってないから時間がかかってもやろうと思うんです。
ただ、図書館の書庫は冷房がつかないので、夏場は地獄です。『ここで倒れたら誰が助けてくれるんだろう』と思いながら論文を探していました(笑)」
将来のビジョンを思い描きながら、自分のやりたいことに一直線な福島さん。目標のために努力を惜しまず、環境の変化を恐れない姿に、大きな勇気をいただきました。
取材・執筆:白石 果林
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