人生調子ノってない人の調子ノリすぎ活動を増やす
自分がかつて敬愛していた人がこんな言葉を残していた。
"人間というのは、善いことをしているときは悪いことをしていると思った方がいい。そして、悪いことをしているときは善いことをしていると思うくらいがちょうどいい。"
この意味をおれはこう解釈している。
つまり、善いことをしているときは、自分の行い以上に善いことをしているという気が大きくなる。
一方、悪いことをしているときは、客観的な善悪基準より、悪いことをしていると思わされる習性が人間の思考に組まれている。
そして、その習性が問題を起こしがち。だから、その習性から生まれるズレを正すために、善いことをしているときは悪いことしてるくらいの気持ちで、悪いことをしているときは善いことしているくらいの気持ちでいるのが丁度いい。そういう解釈をしている。
冷静に見ると人間が自然に持っている能力はスゴいことだらけだと思うけど、このように問題を起こす癖がいくつかあるように思う。そしてそういう問題にはちゃんと対処しないといけない。
これに似たような問題なのが「調子のりすぎ、調子のらなさすぎ問題」だ。
人間は調子にのってるときは、その実力以上に、調子にのりがちになる。気が大きくなり、過信をする。その一方で、うまくいかないときや自信喪失しているときは、それ以上に、落ち込みがちになるという脳ミソの習性があるように思う。
実際、この日本社会を見回しても、こういう人間の思考の癖が問題を起こしているんじゃないかと思わされる件はあるように思う。
だから、この思考の習性をちゃんと正す必要がある。
そのために、調子にのってるときこそ、端から見てやりすぎだと思うくらい、おれはクソだと思い込むくらいでちょうどいいのではないかと思う。
そして、谷底にいるときは、端から見てキモいと思うくらい、自分ができる人間だと思い込むのが丁度いいんじゃないかと思ってる。
人生調子にのってる人が、調子にのらないように自分を戒める言動は称賛されるものとして日本社会扱われているため、調子に乗る自分を戒める風潮はある。
一方、谷底にいる人たちは過度に谷底にいきがちな思考を放置しがち。それを肯定する論理もない。だから実際のダメ度合いより、ダメ人間なんだと思い込みがちな気がする。
だけど、自然の摂理からして悪く思い込みがちになる傾向があるから、それを修正する必要がある。だから、人生の調子が悪いときはおれは最強人間なんだ!と誇るくらいで丁度いい。やり過ぎだと思うくらい、自分を肯定しろ。それでやっとバランスがとれると思う。
事実、おれはこういう論理のもとこれをやってる。論理がなければ中々できないものも、これで心置きなく自分肯定活動できるってもの。これでダメ人間の調子乗りすぎ活動が増えればいいと思って、この思いを思想化しておく。
それと同時にこの文章は、これからきっと調子にのっていくであろう自分への釘でもある。おいお前、あのときのこと忘れるな、調子にのんなってね。無意識に気が大きくなり過信している未来の自分を、ハッとさせてやる。
未来のおれ、感想、コメントによろしく。