
#47 ドリルのしごとをしない
書こう書こうと思いながら、エネルギーが足りなかった週末。
やっぱりこのまま書かないと、また流してしまう気がして、今おもうこと感じることだけ、書いておくことにする。
先ほど、このツイートを見た。
ド リ ル の し ご と す な !
— わざわざ+問tou 平田はる香 (@wazawazapan) April 27, 2020
解説しよう。ドリルのように与えられた課題をこなす仕事をドリルの仕事と言う。ドリルは100点満点だと100点しか取れない。しかし本来の仕事と言うのは、問題を自ら見つけ解き世の中に計り知れない影響を及ぼすものだ。限界ないの。それが仕事や!メモっとけ。
ドリルのしごと。
あ〜〜〜これ、私している。つまらないことを考えていたり、つまらないことで傷ついたり、総じてウジウジしてツンツンしているときは、これだ。
100点満点のテストより、絶対Aが付かないレポートを考えつくすのが面白かった。チームでプレゼンつくるのも、限界がなかった。それは愉しかった。
のに。
自分で自分の日々をつまらなくしてた。気づいてよかった。
与えられた課題を「こなす」という行為が、つまらなさを生む。つまらなさは、「こなす」の質も下げる。結果がどうでもよくなる。こだわらなくなる。
あ〜〜〜嫌だ、嫌だ。こんなの嫌、なのに、ちょっと弱るとそっちに行ってしまう。だから、何度も戻るのだ。戻ろうとするのだ。
平田さんはもちろん、気づかせてくれた人にも感謝したい。明日、伝えよう。
もう一つ。今、オンラインで今日参加する予定だった #withコロナ時代のPR の配信を観ている。
— PR Table Community (@prtable_inc) April 27, 2020
普段Twitterで観ている人たちが話している。
聴きながら考えながら、観ている人のツイートも読みながらまた考えて。
ちょっと止めて、メモして。考えて。
京都に帰ってきたときに感じた「東京では当たり前に開催していたイベントがない」みたいなことは、withコロナ時代にはなくなっていくだろうなと思った。
こんな贅沢なトークを聴きながら、自分の生活時間も進めながら、やっぱり集中して聴こうと思わせられながら。
格差は薄くなっていって、努力をした人が残っていく気がしている。
zoom会議をすると、この人いらなかったが分かるという発言は、同じように他の場面でも「特別」を無くしてゆくだろう。限りなくオープンになっていく、本質に近づいていく動きの中で、でもやっぱり人と人は一緒に生きていくのだろう。
「必要か必要じゃないかではなく、本質的かそうでないか」
三浦さんのこの言葉が、今までの聴いた範囲では刺さっている。
今日私自身が、必要か必要じゃないかに囚われていたと思ったから。
本質的かそうでないか、で考えてみるとどうなるだろう。
ちょっとワクワクしてくる。
「今はPRの出番。この問題が落ち着いたら、欲望に対する広告の出番がやってくる」
うん、そうおもう。
だから今何をするか、がやはり大事だ。
最初に戻って、ドリルのしごとはしない。
だから、続きを聴くのはまた明日。「仕事」して眠ろう。
photo by 写ルンです│
これは去年の写真。全くおなじ景色が目の前に広がっている。自然はコロナがあろうとなかろうと、おなじように生きている。
いいなと思ったら応援しよう!
