今こそもう一度、映画館でジブリを。
「一生に一度は、映画館でジブリを。」
この素晴らしい企画に出会ったのは、長い長い梅雨がやってくる前のことだった。
上映される4本の映画のうち、映画館で観たことがあるのは『千と千尋の神隠し』だけ。
「今こそもう一度、観たい」とおもった。
これから生きる場所、これからの仕事について日々考えているタイミングに、もう一度あの世界へ行くべきだとおもった。
「一生に一度は、映画館でジブリを。」は、わたしにとって「今こそもう一度、映画館でジブリを」になったのだ。
・・・*・・・
10歳のわたしと10歳の千尋
千尋とおなじ10歳になる年の、8月31日。
夏休みの最終日に、わたしは母と「青少年科学センター」に行く約束をしていた。プラネタリウムで星をみる!それを心から楽しみにして、毎日を過ごしていた。
前日、朝から妹の体調がすぐれない。母は「おばあちゃんに映画連れて行ってもらってきて」と言った。
いやいや、全然違うやん。プラネタリウムと映画やで!!!
そう言いたかったけれど、”お姉ちゃんでありたい”わたしは何も言えなかった。おばあちゃんはいつも優しかったし、二人で映画を観にお出かけするなんて、ちょっと大人になったみたいでいいかも。何とか自分に言いきかせた。
映画は、浜大津アーカスで観る。
いつもは車で行くけれど、運転できないおばあちゃんとだから、電車に乗る。大人感。いつのまにか、ワクワクしていた。
次の記憶は、映画を観たあとのグルングルンとした感覚だ。
冒頭、トンネルを不気味だと感じたこと。
もしかしたら、自分のお父さんとお母さんもいつか豚にされちゃうんじゃないかとおもったこと。
ハクみたいなお兄さんに憧れたこと。
カオナシになってしまいそうな恐怖。
わたしも役割が欲しい、とおもったこと。
そして、何より千尋は
めっちゃ”格好いい”同級生だった。
千尋に憑依して「千と千尋の世界」を体験する。
でも、どこかに現実の「自分」も存在していた。圧倒的なパワーに呑み込まれ、フラフラと力の抜けた体を引きずって駅まで歩いた。
帰り道、おばあちゃんは何も訊いてこなかった。それがありがたかった。「千と千尋の世界」は続いていた。
そして、気づいたら知らない駅にいた。
電車で一駅で帰れるはずなのに、最寄り駅に着かない。おばあちゃんも動揺して「神隠し…?」なんて言い出す。
「わたし、なんか悪いことしてしもたかな。」強烈な不安が襲いかかってきた。無事に帰り着いてからも、神隠しが続いている気がして眠れなかった。
当時のわたしは、不安だった。
何をしても認められない感じがしていたし、可愛くないとおもってたし、自分に好きなところなんてなかった。いつも不機嫌だった。
そんな自分のことは嫌いで、もっと”いい子になりたい”とおもっていて。
でも、変わりたくなくて。だから、車の中の千尋みたいに、いつもぼうっと流れる景色を見ていた気がする。
いつか、千尋みたいに、誰かのためにあんなに一生懸命になれるだろうか。批判的な人たちの中でもまっすぐ頑張って、認めてもらえるのだろうか。
食い入るように読み込んだ、その日買ってもらったパンフレットを大事にとってある。
何周読んだか分からない宮崎駿さんのインタビュー。最後にこう書かれていた。
ー監督は今の10歳の子供たちが本当に必要だと感じているものは何だと思いますか。
宮崎「大丈夫、あなたはちゃんとやっていける」と本気で伝えることです。
この映画で千尋がやったことは、あなたたちにもできると、僕は信じて小さい友人たちに作りました。嘘はつかなかったと僕は思っています。それがこの映画を作っての、僕の誇りです。
時間はかかりそうだけれど、なぜか大丈夫な気がした。いつからか、千尋の「ここで働かせて下さい」は、わたしの燃料になっていた。
28歳のわたしと『千と千尋の神隠し』
観にいくきっかけは、このツイートだった。
「言葉の企画」2020。今回のテーマは「名付けの企画」。
自分の名前の漢字の字源を調べたり、名前の由来を聴いたりしながらA4一枚にまとめるという挑戦。
自由研究のように取り組んだあと、「千尋が千にさせられてしまうシーン」が思い浮かんだのだった。
わたしの名前は、朱珠と書いて"すず"と読む。
珍しいし、ほとんど初見では読んでもらえない。
小さい頃から「可愛い名前ね」と言ってもらう機会は多かったが、そのたびに「名前だけね」とおもってきた。なんて、ひねくれた子ども…。
今回、自分なりの名前の意味を言葉にして、こうして生きていきたいと心の底から思えて、やっと名前と身体と心、すべてが一体になれたとおもった。
それはお守りのようで、同時に自分自身のことも大事にしようと決意できた。
自信を持って、名乗ること。
名前は、自分自身。大事に憶えておくこと。
この挑戦を経て『千と千尋の神隠し』を観たら、10歳の頃とはまったく違う安心感を持てたので、記録しておきたい。
助けたい、は愛。してあげる、は支配かもしれない。
千尋の成長物語としてしか捉えていなかった『千と千尋の神隠し』。
今回わたしは「働くこと、生きることを通して織りなす人間関係」についての物語だと強く感じた。
湯婆婆は、働く者と契約をする。
それは支配。
働きたいという願いを”叶えてあげる”から従え、という支配。
一方で、銭婆婆は最後のシーンでカオナシに「ここで私を手伝っておくれ」と言う。助けてほしい、助ける、という関係は、共生だなあとおもう。
【共生・共棲】きょうせい
1.いっしょに生きてゆくこと。
2.(生物)異種の生物が相手の足りない点を補い合いながら生活する現象。
千尋は、「わたし、ハクを助けたい」と言う。
自分がどう見られるかや、自分の身の安全よりも、「助けたい」その一心だった。強い意志に、周りの大人たちは動かされていく。ちいさな"友だち"は、そばにいる。
千尋はカオナシのために扉をあけた。
きっかけをつくった。
優しさから招いてしまったことに、自分で落とし前をつけた。
本人と向き合って、草団子をあげた。
お父さんとお母さんは、「後でお金を払えばいいから」と他人様のごはんを食べてしまった。
車でぐんぐんと他人様の土地に入っていった。
細かい比較がたくさんある。
あなたは、どちらを選ぶのか。
ずっと、そう問われている気がした。
世の中には、いろんな支配がある。
もう前提となってしまっていて、支配されているなんて気づかないようなことも、きっとたくさんある。
支配関係から生まれるエネルギーは、愛によるエネルギーには絶対に敵わない。支配から解き放たれて、自分の名前で生きて初めて、人生がはじまる。
わたしは、支配よりも、愛で関係を築きたい。
助けたい、こうしたい、という自分の意志で動きたい。
〇〇してあげる、はもしかしたら
支配かもしれない。
支配されているかもしれない。
支配しているかもしれない。
そこに、少しでも自覚的でありたいとおもった。「大根の神様」のように、そっと包み込んで助けるひとを目標に。
・・・*・・・
最後に。
この日、言葉の企画のメンバー(しかも”千尋”ちゃん!)と、初めましての時間を過ごした。一緒に観に行きましょうと声をかけてくれた千尋ちゃん、本当にありがとう!
過去の記憶を交換しながら、すごいエネルギーを使ったねえと言いながらの帰り道は、なんとも豊かだった。
えいっと勇気をだしてくれたことがうれしい。そんな千尋ちゃんのnote、よかったら!
映画は、体験だ。
これからもまた、映画館で映画を観たい。
「いつかまた、映画館でジブリを。」
いつも何度でも。わたしの名は、わたしのなかに。
それは「他人のために何かをすること」。
与えられるのではなく、与えることを
千尋は生まれて初めて知る。
はじまりの朝 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
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