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生きがいについて「余命10年」(2)
私はこのような映画が苦手です。
このような映画というのは、愛する人が死んでしまったり、愛する人の記憶が失われていってしまうような映画です。
苦手というのは、(激しく)泣いてしまう可能性が高いからです。
今まで、このような映画を観るときは、私は残される立場になる男性の視点に入り込んで観ていたように思います。今回の映画は女性の視点、気持ちに入り込んで観ていました。
その違いを考えてみましたが、おそらく(というか、ほぼ間違いなく)自分の愛する人を失うということを想像すらしたくなくできなかったのだと思います。
余命10年という人生を生きる側、その後も生き続ける側、どちらの気持ちを考えてもたまらない気持ちになります。
「どちらが可哀想なのだろうね。 ごめん、今のなし。」
「愛せる人に出逢えただけで、奇跡みたいなもんだ。」
私はこの映画を観て、神谷美恵子(著)「生きがいについて」を思い出しました。正確に言うとNHK「100分 de 名著」という番組で、この本を特集した回を聞いていたときに(私はこの番組を音声番組としてよく聞いていた時期がありました)強く印象に残っていた言葉と繋がったのです。
愛する人を失うという困難にどのように向き合ったらよいのか。
その向き合い方とは、そんなにも大きな悲しみを感じさせられる人に出逢えたことこそが幸せなこと(人生)だという考え方です。
出逢わなければ、そのような大きな悲しみを感じないで済んだとしても、出逢って大きな幸せを感じて、いつか大きな悲しみも感じることになることをも含めたものが幸せな人生なのではないかと、(今のところの仮の答えとして)私は思っています。それしかないのではないでしょうか。
「生きがいについて」の原著については、購入したもののまだ読めていないので、この繋がりを感じられたことをきっかけに読んでみようと思います。