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外国人の自分にとって、ゼロコロナとはなんだったのか

最近は忙しくてYouTubeを見る暇もあまりないのですが、この前久しぶりに時間ができたので、嫁と一緒に日本在住の中国人ジャーナリスト・王志安さんの動画を見ていました。

その中で、とある動画のタイトルにちょっと引っかかったのです。

コロナ禍の悲しみを理解できるのは、中国人だけだ(新冠年间的悲情,只有中国人自己能懂)

これを見て、僕はほんの少しイラッとしてしまったんですね。

もちろんこのタイトルをつけた人にそんな意図はないというのはわかったうえで、中国で過ごした外国人としては、「外国人だってしんどかったっちゅうねん」「あの時の苦しみを中国人だけのものにすんなや」という苛立ちを多少覚えてしまったのです。

中国のコロナ禍、そしてゼロコロナ政策は、そこで暮らす外国人にも大きな負担を強いるものでした。同時に、中国についてさまざまなことを学ぶ教訓の場でもありました。

今日のマガジンでは、あのゼロコロナの経験を客観視する意味でも、外国人としての自分にとってゼロコロナはどんなものだったのか、自分に何をもたらしたのかについて書いてみたいと思います。

外国人ならではの苦労

コロナ禍で国をまたいだ往来が難しくなったのは世界中どこでも同じですが、中国への渡航はなかでもひときわハードルの高いものになりました。

入国者には3週間、あるいはそれ以上の隔離が課せられ、厳しい管理のもとで暮らすことを余儀なくされました。もちろん費用も自己負担です。多くの人にとって、渡航は現実的なものではなくなりました。

これらは外国に住んでいたり、海外と頻繁に往来する中国人にとっても災難だったのは間違いありませんが、中国に住む外国人も祖国にそうやすやすと帰れなくなったことは大きな困難だったでしょう。

僕自身、コロナ禍の3年間はついぞ日本に戻ることはありませんでした。もともと頻繁に一時帰国するタイプではないのですが、「日本に帰ろうと思えばいつでも帰れる」ということと、「帰るとなると莫大なコストがかかる」(=実質的に帰ることができない)という状態はまったく違うのだということを思い知らされました。

それが中国の方針というならしょうがないのですが、中国で家族を持って暮らしている外国人のことは全く想定されていないんだなということが、いま思い返してみても辛かったように思います。

また、「家族を持って暮らしている」という但し書きをつけなくとも、コロナ禍の生活は外国人には非常に不便で息苦しいものでした。それとて中国のみなさんにとっても同じではあるのですが、外国人については身分証ブロックをはじめとして諸々のシステムの中で存在が考慮されていないことも多く、現地の人々とはまた違った苦労があったことも事実です。

特に、健康コードやスマホを通した各種の許可申請や予約などには軒並み苦労しました。入力フォームをすべて埋めてから「身分証の番号が不正確です」(=そもそもシステムが中国の身分証以外を受け付けない)とメッセージが出て全てが水の泡に帰す、なんてことはコロナ禍でなくても中国では日常茶飯事ではあるのですが、コロナ禍ではその回数が大きく増えた分、ストレスも大きなものになりました。

そうしたネット周りの不便さ以外にも、外国人として外を出歩いた時に大変な理不尽を経験したこともあります。嫁の実家周りの田舎では、外国のパスポート持ちというだけで「なんでこんなとこに外国人がいるんだ!隔離されてないのか!」と怒鳴り散らされたりもしました。リアルの場でも外国人が想定されていないことに憤りや悲しさを感じたものです(ここまで理不尽なのは田舎だけだったとは思いますが)。

こんなふうに、中国の人々自身が受けたストレスや国のやることに覚えた絶望に比べれば些細なものかもしれませんが、やはりその中で暮らす外国人もかなりの不便を被っていた、ということをここにはっきりと記しておきたいと思います。

「ザ・中国」のモデルケース

同時に、コロナ禍とゼロコロナが自分にとってプラスになったというか、これを身をもって知れてよかった、ということもあります。

それは外国人として、中国社会で起こることの縮図を経験できたことです。

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