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中国の教育は変わっていくのだろうか
野本響子さんが、これまでの日本で出されてきた偏差値教育への批判について紹介していました。
かつての文科省の人々も、日本の教育が偏差値一辺倒の教育ではまずいということは結構はっきり見えていて、変えなければいけないという危機意識を持っていたようです。
でも結局うまくいかず、中途半端な改革に終わったのは、現場の先生の負担が大きかったことや大学側が変われなかったこと、そして何より親が新しい教育を受け入れず、自分たちの受けてきた教育を同じように子どもにやらせたいと強く考えていたことにあるといいます。
最近になって大学の入試も多様化していると聞きますが、相変わらず受験産業は盛んなようですし(Twitterにいると3日に1回くらい「SAPIX」という単語が流れてきます)、やはり大きく変わったとはいえない現状なのではないでしょうか。
なんにせよ、子どもに過剰なプレッシャーをかけるようなことは一刻も早くなくなってほしいですね。
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さて、僕の住む中国も同様の問題を抱えています。
「偏差値」という概念こそ一般的ではないですが、大学受験がかなりの部分で重要視され、それににともなう家族からのプレッシャーは非常に大きなものになっています。その圧は日本以上です。
親は「よい大学に行かねば、ろくな仕事につけないぞ」と子どもを脅し、あらゆるリソースを駆使して夜遅くまでの勉強を強いたり、塾やオンラインの授業で子どもの予定を満杯にします。目指すは「985」や「211」と呼ばれ、政府が認定し重点的な投資を受けることができる、北京大学や清華大学などの名門大学です。
その結果起きていることといえば、ストレスによる深刻な子どもの健康被害と、中国式の教育を乗り越えることだけが上手になった(どんな手段を使ってでも課題を「とりあえずやったこと」にする+とにかく量をこなすことを正義とする)、頭でっかちの若者の量産化です。
さらには近年は不景気もあいまって、増えすぎた大卒がそれに見合う職を得られず(あるいは大卒者自身がよりごのみをするために)、「大卒あまり」が深刻化しています。これからも大卒者が増え続けるのであれば、事態はよりひどくなっていくでしょう。
いまの中国の教育に持続可能性がなく、また未来において人材がコモディティ化し、教育自体が無意味化していくのは明確です。
では、中国の教育は変われるのでしょうか。これまでに日本が踏んだような轍を踏まず、受験一辺倒をやめ、教育の質を切り替えていくことはできるのでしょうか。以下に個人的な所感を書きます。
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