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義実家で「無理!」と思ったこと

昨日はマガジンをお休みしてしまい申し訳ございませんでした。

次々と押し寄せる親戚、5分ごとに聞かされていたのと変わる予定の数々にマガジン執筆のタイミングを完全に逸し、流されるまま飯を食い、子どもをあやすだけのマシーンと化しておりました。

今日はそんな怒涛の親戚参り、特に大勢でご飯を食べている時に考えたことを書きます。

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普段、自分の家にいるときは基本的にどちらかが子どもについていないといけないので、食事も交代制というか、持ち回りで済ませます。僕が作ってさっと食べ、交代して嫁が食べに行く、みたいな感じです。

ですが、義実家にいるいまは当然祖父母がいますし、嫁の兄弟姉妹も一緒にいたりするので、彼らに子どもを抱っこしてもらって夫婦揃ってご飯を食べる、みたいな場面も出てきます。

それ自体はありがたいし、子どもを見てもらうのもそれはそれで楽だな、と思いもするのですが、そういう気持ちがちょっと、というか曇ってしまう場面もあります。

それは、大勢の親戚がいるときです。

自分の家(嫁の家ですが)に人を呼ぶにしても、誰か親戚のところを訪ねてご飯を食べるにしても、だいたいこの時期の中国人の食事会というのは、老若男女が入り乱れる、何が何だかわからんカオスになります。

その中で自分がご飯にありつくには、やはり子どもを誰かに見てもらう、具体的には抱っこをしておいてもらわねばなりません。そういう時でもだいたい、僕ら夫婦は直接の祖父母か、兄弟姉妹たちに子どもを預けます。

しかし……そうして誰かに子どもを預けていると、だいたいいつの間にか子どもが親戚中の間で、かわるがわる抱っこされているのですね。嫁から見て叔母さんにあたる人や、その旦那さん、そしてその家の長男、果ては続柄のよくわからん謎のオッサンオバハンまで、抱っこのたらい回し状態になります。

そんな時、僕の心にはこんな気持ちが去来します。

「うーん、無理だ」と。

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