住んでてわかる、独裁国家の「よさみ」と欠点
こんな記事を読みました。
かつて「豊かさ」は民主主義の特権だったのが、近年では事情が変わり、豊かさと独裁政治、ひいては非民主的な政治体制を両立させる国が増えている、ということです。
記事ではその理由を、「経済のグローバル化とデジタル化が経済活動の垣根を低くしたこと」だとしています。民主主義は合意形成に時間がかかるのが欠点と言われますが、意思決定のスピードがものをいう現代ではそれが大きな足かせとなっている、というわけです。たしかにわからない話ではありません。
僕の住む中国も、ここでいう「豊かさを達成した非民主国家」に含まれるでしょう。なにせ、GDP世界2位ですからね。
中国自身に言わせると、社会主義核心価値観に「民主」が含まれていることからもわかるように、中国も民主的な国ということになっています。しかし、それは日本やその他の諸外国で採用されている体制としての民主主義とは違うものなので、非民主国家として扱うべきでしょう。これも中国自身の言い分として、「中国には中国の民主主義がある」と言っているくらいですし。
そうした、いわゆる西側的な民主主義ではない国に暮らしていると、違った風景が見えてきます(僕が比較対照している母国の日本が、十分に民主的かどうかは置いておくとして)。そのなかにはたしかに民主主義国にはない「よさみ」、つまり長所のようなものもありますし、もちろん欠点もあります。
今日は中国での暮らしで見えてきた、そうした「よさみ」と欠点の話を書きます。
非民主国家は、多数派に居心地がいい社会
まずは「よさみ」のほうから。
中国に暮らしていると、たしかに合意形成が早く、物事が動き出すまでのスピード感があることをいろいろな側面で実感します。
コロナ禍とその対策がいい例でしょう。最後のほうにグダグダになったせいですっかり失敗のイメージが強くなった中国のゼロコロナ政策ですが、感染スピードが速くなく、またウイルスの致死性が強かったころにはたしかに有効でした。
むろんそこでは個人の自由などは制限されましたし、そのことで不利益を被る人も多数いましたが、それは全体の安全や利便性のためには仕方ないとされました。少数派の意見や利害が封殺されたと言えばそうですが、いっぽうで「最大多数の最大幸福」は達成されていたともいえます。
ほかの非民主国家は詳しくわからないですが、少なくとも現代の中国は「最大多数」に含まれる限りは基本的に安全かつ快適に過ごすことができるようになっている国です。それは政権が民主的な民意の裏付けを得ていないぶん、多数派の民意を汲み取るように動こうとする部分があるからです。
だからこそ、政治が独裁的であっても国民には支持される、ということが起こりえるのです。
また、そういった政治的な話を抜きにしても、非民主的な体制が生むスピード感というのも、上の記事のいうように侮れないものではあります。これもコロナ禍を例にすると、当時はITを利用した教育や医療のためのソリューションが次々と実行に移されました。オンラインでの診察やリモート授業などが広がるスピードは、おそらく世界でも随一だったのではないかと思います。
そのスピード感は、コロナという有事において許された部分が大きいでしょう。非常時なればこそ、煩雑な手続きをすっ飛ばしてとにかく実行してしまおう、ということが可能になったのです。
このあたりは特に、法規制と既得権益でがんじがらめになっていて新しいことが何も進まない日本から見れば、うらやましく見える部分もあります。
「大多数」に含まれないものの苦境
いっぽうで、欠点にはどんなことがあるでしょうか。
まずはやはり、上に挙げた「よさみ」の裏返しとして、少数者が顧みられないということが挙げられるでしょう。
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