監視カメラは「無敵の人」を止められない
紀実作家・安田峰俊さんによる、深圳の日本人学校児童殺害事と、その社会的背景に関する記事が出ていました。個人的に重要と思える指摘がいくつもあったので、今日はそれについて書いてみたいと思います。
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まず、この部分。
「監視カメラがn億台! 信用スコアで国民総管理! 恐怖のディストピア社会!」などとおどろおどろしく語られることもある中国の監視社会化ですが、現実には治安の維持に大きく向上している部分があります。
実際、僕が中国に住み続けてきた10年間は監視カメラが加速的に増えていった時期と一致していますが、その間だけでも街は格段にきれいになったし、交通マナーは明らかに良くなったし、揉め事の類を見ることもすっかり減りました。人々のほうがこれを歓迎しているというのも事実です。
しかし、そんな「便利で安全な」監視社会が見落としていたのが、いわゆる「無敵の人」の存在です。失うものがなければ、自分の姿が監視カメラに写っていようと一向に構わない。どんな罰を受けようとも、たとえ死刑になろうと関係がないからです。
そして今、その「無敵の人」が中国には増えているように見える。14億の人口から言えばやはり総数は多くないものの、インパクトの大きな事件の数々は実態以上に体感的な治安を低下させ、人々の不安を高めていくでしょう。
報道規制のある中国ではこうした社会不安を煽るような事件の情報は積極的に報道されませんが、その代わりに「ウチ」の仲間内で回っている人々の草の根情報ネットワークの中で、不安は確実に共有されていきます(むしろ報道規制の存在が、こうした不確実な「ウチ」のネットワークの必要性を高め、結果的に奇妙な情報が訂正されないまま出回るということも中国では起きます)。結果として高まった社会不安は、中国社会を足元から徐々に揺るがしていくでしょう。
監視カメラで抑制できない、「無敵の人」の蛮行。停滞期に入った中国の、新たな社会的課題と言えるのかもしれません。
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もう一つ、重要な指摘があります。それは中国社会において強く内面化された、「強者の論理」に関する部分です。
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