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中国人と日本人、承認欲求のカタチの違い

くまてつさんのnoteが面白かったです。

くまてつさんは、中国の人々の人間関係について、「みんなから愛される」ことには興味がないものの、「みんなから尊敬される、一目置かれる」ことには強い執着を見せる、と分析しています。鋭い視点だと思います。

そうした中国人の承認欲求のことを、日本人の抱えがちな承認欲求との微妙な違いとして捉えるとわかりやすく説明できるのではないかと思いました。きょうはそのことを書いてみたいと思います。

もちろん個人差はあるので、あくまで一般論的なものとしてお読みください。

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簡単にいうと、中国人と日本人の承認欲求の差は、「「認められたい」と思う対象が、不特定多数に向いているかどうか」ということで説明できると思っています。

くまてつさんは、中国の人は人間関係を「俺たち」か「俺たち以外」かの2つに分別しているといいます。そして、「「俺たち以外」にはどう思われても構わない」ということをして、中国人は「みんなから愛される」ことに無頓着だ、としています。

これは僕のマガジンでも書いてきた、「ウチ」と「ソト」に対して大きく違う態度を見せる中国の人々の気質と一致しているように思います。

中国の人にとって、大事なのはどこまでいっても自分の周囲を中心とした「ウチ」です。それは家族を中心とした同心円的な広がりで、自分に近ければ近いほど大事な人、ということになります。

つまり、身近な人が自分をどう思うかについては強い関心があるが、そうでなければ別に何を思われていも知ったことではない、だってそれは自分の実人生には影響しないから、ということなのです。

冒頭のnoteで、くまてつさんは「みんなから尊敬される」ことに関心のある中国人の例として、「影響力を失いたくない」という理由で高級マンションから引っ越したくない人の話をしています。

これもおそらくですが、「高級マンションというステータスを失うこと」それ自体よりも、「高級マンションに住めなくなったことを周囲の人に知られたくない」というのが動機しては強いのではないかと思います。

中国においては、「面子mian zi」は社会を渡っていくための武器であり資本です。

その維持のためには「ウチ」としての身近な関係を大切にし、またイメージとして周囲に影響力のある「大人物da ren wu」だと思われておく必要があります。だから逆に、目に見える範囲の人間関係に敏感だし、そこに気を遣うのがたぶん習慣になっているのだと思います。

このへんは「ソト」とか「世間」みたいなものが強く、みんながそれを気にしがちな日本とはちょっと違うというか、似て非なるものになっていて面白いなと思います。

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こうしたことを端的に説明できるものは何かないかな、と考えた時に、SNSの使い方のことを思いつきました。

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