中国人に「明るさ」の話をする時は気をつけましょう
昨日、こんなツイートをしました。
「街中の明るさ」のようなものについて、中国の人はセンシティブな反応を見せる場合があるのですね。
もともとは「マザーファッカー系の悪口は日本人には効きにくい」というツイートが無駄に伸びていくなか、悪口にも文化差みたいなのがあるよなーと思いを巡らせ、「中国人と悪口」について考えていた時に上の内容を思いつきました。そしてこのたび、noteにも書いてみることにしました。
もちろん趣旨は「こういうことを言って中国人を怒らせようぜ」というような下品なものではなく、むしろこっちにまったくその気がないのに怒らせないように気をつけましょうね、というものです。
中国の人々とのコミュニケーションにご活用ください。
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まず前提として、中国は街や家の中がそれほど明るくありません。ここでいう明るさは雰囲気的なものではなく、ルクスなどの単位で計測可能な光量、物理的な明るさのことを指します。
仕事で部屋にこもり、夕方くらいにリビングに出ていくと、薄暗い部屋で嫁がひとりソファに座っていてびっくりすることがあります。あくまで日本的な基準ですが、とっくに電気をつけていなければおかしいような時間と日の落ち方(冬場の18時とか)であっても、嫁は電気をつける必要はないと判断します。
こんなに暗いのにどうして電気をつけないの? と 聞いても、むしろなぜつける必要があるのか、といった態度です。どうやら「家で電気をつけるべき明るさ」ということに関して差があるようなのです。このことは職場などでも同じで、中国人スタッフだけだといつまでもオフィスの電気が暗いまま仕事をしていたりします。
外でも似たようなもので、これも日本との比較になりますが、店屋や駅などパブリックスペースは全体的に若干暗めです。近年はあまり感じることはなくなりましたが、中国に来たばかりの時は高速鉄道の駅に行くたびに「駅にしては暗いなあ」と感じたものです。
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そんな感じで、(光量的な意味で)全体的に暗めな中国の家や街角なんですが、問題はこれを素朴な感覚として中国人に話してしまった時です。たとえば、「中国の駅って日本より暗いよね」と、ポツリと言ってしまったとしましょう。
そうすると、人によっては「日本の駅もそれほど明るくない!」「私が〇〇駅に行った時は暗かった!」などとムキになって反論されたり、怒り出す場合もあります。いくらこちらが価値中立的に、ただ単に文化的な差異としてそれを話そうとしたとしても、です。
「明るい」と「暗い」では、どちらかといえば「暗い」のほうがイメージがよくないのはわかりますし、たしかに多少気分はよくないかもしれません。でも、それにしてもそんなにムキになる? という熱量で向かってこられることが多く、面食らいます。
どうやら中国の人にとっては、「(光量的に)暗い」ということは、何かしらのコンプレックスにかかわることのようなのです。
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