中国は受験戦争をやめられるのか
野本響子さんが、シンガポールや中国で起きている教育の変化について書いていらっしゃいました。
記事の最後に「中国語圏の方の補足などあればありがたいです」とあったので、中国の教育業界で起こっていることに関して、調子に乗って知りうる限り書いてみたいと思います。
何が起こっているのか
先の記事の通り、中国では教育業界に大きな規制の波が押し寄せています。
具体的には学習塾の新規開設の禁止や上場による資金調達の禁止、または未就学児への小学校内容の教育の禁止(簡単にいうと「幼稚園で算数や英語を教えるな」ということ)などの学校外での学習に対する大幅な規制、または小中学生に対する宿題の量の規制などが含まれます。
こういった政府部門からの「お達し」は実効性を持たない、「言ってるだけ」で済まされるようなことも多いのですが(たとえば北京ビキニ禁止とか)、どうやら今回のこれに関しては割とマジなようです。特に学校外での学習に関しては本腰を入れた規制の動きがあるようで、最近になって各地で学習塾に対する風当たりがどんどん厳しくなっている話が聞かれます。
このようなことが行われる背景には、主に少子化につながる教育費の高騰を抑制する狙いと、子供たちの健康被害への対処があります。
中国の子供が勉強漬け、習い事漬けで大変なのはよく知られていますが、膨張し続ける教育費(にともなう教育格差)と、子供たちが受けるプレッシャーにともなう睡眠不足、うつ病などの健康被害は年々深刻になっており、すでに社会問題化しています。今回の規制はそういった問題への対処であると見られています。
高考一点張りをやめないことには……
それだけ聞くと「中国政府偉い! これで少子化も解決! 万岁!」となりそうなものですが、庶民の反応は冷ややかです。「上に政策あれば下に対策あり」で、どうせ規制の網の目をすり抜けて子供に勉強をさせたり、個人開業の家庭教師やオンライン教育みたいなものにカネが流れるだけだろう、という反応が一般的です(現実にはオンライン教育業界も痛い目を見ているようですが)。
ではなぜこうした動きが歓迎されず、親たちは「ヤミ営業」的なことに手を出してまで、子供に教育を受けさせることをやめないのでしょうか? 答えは簡単、過酷な教育を受けさせる目的、つまり大学入試の重要性はそうはいっても変わらないだろうと思われているからです。
中国の大学入試は、高考と呼ばれる統一試験によって行われます。大学に入るチャンスは外国人枠などの絡め手を使わない限り他にほとんどなく、毎年苛烈な競争となります。人気大学に入るためのハードルは非常に高く、高考を意識した学習を始めるのは早ければ早いほどいいという考えの親は多いです。したがって、親が子供に教育を受けさせる熱は変わることはありません。
今回の規制も、このような高考に一辺倒な教育の構造自体が変わらなければ少子化対策などには結びつかないという見方が強いように思います。むしろヤミにお金を流し、バレないような形で教育を受けさせられるようなリソースを持つ親とそうでない人々との間で、余計に格差が開くようなことにさえなるかもしれません。
またこれに関して、以前中国に在住されていたマンヤオベガススタイルさんが非常に重要なことをおっしゃっています。中国人の間では、「高考で成功したら将来の安定が待っている」こと以上に、「高考に失敗したら人生詰む」というような意識が非常に強く内面化されているのです。
日本にも「Fラン大学」などというひどい言葉がありますが、とかく中国においては4年制の大学(中国語で本科という)に行けない=ロクな教育が受けられない=この先の人生にもロクなことがない、というようなコンセンサスが強すぎるのです。またそれは先のツイートでも言われているように、専門学校や3年制大学(専科という)の教育の質、そして社会通念や実際に彼らが社会に出てからのことを考えても、部分的には事実でもあります。
実際、専門学校生に対する「そんなに言わんでも…」というような、かわいそうになるくらいの蔑みの言葉を耳にしたことは少なくありません。
高考以外の人生の選択肢の幅が少なすぎる(少なくとも親たちにはそういう風に見えている)こと、そして「勝ち組」になれなかった人々に向けられる苛烈な視線と扱いこそ、このような構造の根源なのかもしれません。
かといって、やめられるかどうか
しかし、このような構造を変えられるかというと、難しいのではないかと思います。
僕が思うに中国では教育に限らずリソース配分を決めるにあたり、「強者一点賭け」を最適選択として選ぶ傾向があるのではないかと思っています。つまり、このような構造を是正し「平等」を目指すというよりは、むしろより厳しく狭き門を設けて「一握りの強者」を生み出し、共同体の運営を任せるように動いていくのではないかと思っています。
中国にはかつて、過酷な官僚登用試験である「科挙」なんかもありました。20世紀に入った頃に科挙は廃止されましたが、高考はその復活だと言われることもあります。ちなみに高考自体も文化大革命の際に廃止されていた時期がありますが、鄧小平の時代になり再び行われるようになりました。
ある意味、このような苛烈な競争が保存されているということは、それが中国の社会制度や国民性に適しているという判断がどこかで働いているのでは……という気がしています。
むろん、これは私見であり推測の域を出るものではありませんが。
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以上、今の中国の教育規制が起こった流れと、それについての自分なりの視点を述べてみました。これから中国で子供を育てるかもしれない身としては、色々と考えさせられます。
このあたり、実際に中国でお子さんを育てられている人などの方が詳しそうです。もしご意見・ツッコミ等ありましたらお寄せください。お待ちしています。
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