みんなシステムの中で、必死に生きてるだけなんだ
このところ、中国で増えつつある(ように見える)無差別暴走事件と、それに対する中国社会の反応について何度か書いています。
その中で、今後はこうした事件に対する「防衛策」「予防策」として、木っ端役人による根本的な解決にならない(むしろ事件を起こしそうな人を余計に追い詰めてヤケを起こす確率を高めてしまう)、名ばかりの「対策」が取られるようになり、その中で人々は余計に自由を失うようになるのでは、という予想を立てています。
中国のお役人や警察関係者は、基本的に自分の保身と役得のことしか考えていません。人民に尽くすことではなく、体制内での立ち回りによってのみ個人の評価が決まるシステムの中で、人々は積極的に他者を助けることを選ばず、むしろ自分の責任範囲における厄介ごとをなんとしても避けようとします。
そして、問題の解決に向けてではなく、まったく本質的ではない「やった感」のアピールばかりを繰り返します。コロナという大きな流れのなかでも、個人としてお役所的なところとやりとりをする中でも、そのことを嫌というほど知りました。
さらに言えば、お役所に限らずとも、中国で起こることはだいたいこれです。自分から主体的に責任を負い、人の助けになろうという人にはこれまで数える程しか出会ったことがありません。むしろ、権力や権限をフル活用して自分の利得を最大化することにしか興味のない人間や、何もかもを人のせいにしてくる人にばかり出会い、心を消耗させてきました(もちろんそんな人が100%ではなく、心ある人も中にはいましたが)。
この国で生きていると、こうした多くの「人間由来の厳しさ、つらさ」に出会い、心が荒みそうになります。
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ただ、だからといってあまりにこの国の人々のことを悪しざまに言ったり、総体としての「中国人」なる存在を憎むようになってしまうのは、やはり違うのかなと思います。
彼らはただ、中国というシステムの中で普通に、そして必死に生きているに過ぎないからです。
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