外国人としての無力さ、孤独感、それと戦うための2246文字
昨日から、トラブルに見舞われています。ぶっちゃけコロナ関係なのですが(感染したのではないのでご安心(?)を)、問題が入り組んでいて何が何やらという感じで、かなり参っています。
その顛末は落ち着いたらいずれnoteに書こうと思うのですが、今日はその問題そのものではなく、それにともなって思い出したある辛さのことについて書きたいと思います。
それは、「外国人としての自分の無力さ」です。
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海外でトラブルに見舞われた時ほど、己の無力さや孤独感を感じることはありません。
海外で暮らしたことのある人、あるいは外国語で何らかの折衝をしたことがある人ならわかってもらえると思うのですが、自分の言いたいことがまったく出てこなかったり、相手の言っていることがまったくわからなかったりして、もどかしさや焦燥感を覚えることは少なくありません。
その焦燥感はさらなる悪循環を生み、ますます自分が何を言いたいのかわからなくなります。本来は問題解決に割かなければならない脳のリソースがみるみる奪われ、まともな意見が出せなくなります。まるで手足を縛られながら戦っているような、ボタンを封印されたままゲームをしているような感覚です。
あるいはようやく何か言えたとしても、相手にはまったく伝わらないこともありますし、そもそもその国のルールや習慣においてはまったくトンチンカンなことを言ってしまっているかもしれません。
そんな時に、何度説明しても話が伝わらず、あるいは噛み合わず、「こいつは何を言っているんだ」という怪訝な顔で見られたり、半笑いで子どもを諭すように話しかけらる時には、耐え難い屈辱感を感じるものです。
そもそも、外国人というだけで拒否反応を示す人もいます。中国、特に僕が関わるような地方の田舎においてそれは顕著ですし、外国人のためのシステム的な例外対応ができない、あるいはわからない、やりたくないという人もたくさんいます。
特にコロナ期においては、明確な差別までとはいかないものの、パスポートを見せただけであからさまに嫌な顔をされて「面倒はごめんだ」とばかりにぞんざいな対応をされたこともたくさんありました。そのうえ、いまの僕のようにトラブルを抱えている状態になると、何をか言わんやです。
中国に暮らしていると、こんなことばっかりです。
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僕は助けてくれる嫁がいるだけだいぶマシ、という考え方もできます。
でも難しいのは、その嫁に対しても同じようなもどかしさや焦燥感を感じる場合があるということです。
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