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「謝ること」の正解は? 日中夫婦の教育談義
先日、自分の息子を親戚の子に脅かされ、ブチギレたことへの後悔を書いたのですが、それはそれとして親戚の子やその親から謝罪や申し開きの一言すらなかったことにはまだ腹が立っています。
その他にも、実はこんなことがありました。
上のマガジンのエピソードとはまた別の甥っ子(7歳くらい)がおもちゃの車で遊んでいたのですが、そこでふざけて親戚の女性(20代前半)の頭の上にその車を押し付け、走らせました。車輪が女性の髪の毛に絡み、「痛!」という声が上がります。そして、髪の毛からぶら下がるおもちゃ。どうやらけっこう深く絡んでしまったようです。
すぐに普段甥っ子の面倒を見ている義母(両親はその時不在でした)が来て、おもちゃに絡んだ髪の毛をほどきにかかります。しかし事をしでかした甥っ子本人はというと、ヘラヘラしながら「剪了就行吧」(切ればいいじゃん)などと言っています。
この時点で、僕は強い違和感を覚えていました。子どもだから自分の行動の結果を想像できなかったり、女性の髪を痛めつけるということの意味がわかっていない(男性でもダメですが)のはしょうがないとしても、まずこれだけわかりやすく相手を害したということについて、一言謝ったりはしないのでしょうか。もう小学校にも上がっている年齢なのに。
さらに、周りの大人も何も言わないことが違和感に拍車をかけます。ここはどう考えても謝罪を促すところだろうと思うのですが、義母は何も言わずに黙って作業をしているだけ。他の大人も顔をしかめるものの、甥っ子に表立って注意はしません。
そこでたまらず、僕は「你跟她说对不起吗?」(彼女に謝ったのか?)と聞きました。「没有」 (いいえ)としれっと答えます。僕は「你应该要道歉」(謝るべきだろう)と言いましたが、甥っ子はただぽかんと口を開けているばかり。
どうしようかと思いましたが、上述の別の甥っ子とその親にブチギレた翌日のことだったのであまり詰めるのもどうかと思い、その場はそこで終わりにしました。たぶん最後まで彼は謝らなかったのではないかと思います。
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謝罪というものに関して日本人である僕と中国の人々で感覚が違うというのはわかっていたつもりですが、子どもへの教育方針を通してその様相がより鮮明に見えてきたような気がしました。言ってしまうと、「こいつらマジで謝る事を教えてないし、教えられてないな」という感想です。
しかし、そのような感覚の是非については僕はジャッジしてはいけないし、いい悪いを決めることはできません。これは彼らの文化であり、「そういうもの」なのでしょう。
ただ、僕は自分の子どもを同じように教育するのは嫌だな、と思ってしまったんですね。謝るべき時に謝れない人間には、絶対になってほしくない。ここは譲れない部分です。
となれば、自分の子どもの教育方針はどうしていくのか。僕が話し合っておくべきなのは中国人の嫁ということになります。嫁の感覚や見解も聞いた上で、「謝罪」ろいうものをどう教えていくかを考えるべきでしょう。
というわけで、以下は上述のエピソードについて、その日の夜に嫁と話したことのざっくりした記録です。少し長くなりますがお付き合いください。ちなみに嫁は、当時のやりとりをすべて後ろで見ており、何があったかは把握しています。
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——あの時の〇〇(甥)についてどう思った?
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