戦争の恨みを忘れた国と、決して忘れない国
先日、「この世界の片隅に」のアニメ映画版を中国人の嫁と一緒に見ました。この映画は太平洋戦争末期の日本、広島から呉に嫁いだ少女・すずをめぐる物語です。
夫婦ともに初見でしたが、僕は当時の時代背景についておおむね知識があるのに対し、日本人ではない嫁はそれほど詳しく当時の日本を知っているわけではありません。そのため見ながら適宜、僕が嫁に解説をするような形をとりました。
また嫁は日本語をそれなりに理解できますが、作中では強い広島なまりが表現されているので、字幕のない環境ではかなり理解が難しいものでした。そのあたりもときどき通訳しながらの視聴でした。僕としては大変でしたが、それはそれで楽しい作業ではありました。
個人的には、平和で能天気だったすずの暮らしが少しずつ戦争に蝕まれていく様子を見て、とても心にくるものがありました。特に原爆投下の日に向けて不穏さがどんどん高まっていくあたり、途中で見るのをやめてしまいたくなるような辛さもありました。
きっと当時にはこういうエピソードが無数に生まれていたんだよなと思うに、戦争について改めて思考せざるを得ませんでした。遅ればせながら、見て良かったと思います。
嫁のほうも、穏やかな「むかしの日本」の暮らしが壊されていく様子に心を痛めたようで、当時の日本で起きたことについていろいろと思いを深めているようでした。
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いっぽうで、嫁と一緒に見ている途中には、ひとつ印象的なことがありました。
すずの住む呉市に対して、米軍による空襲がいよいよ激しくなってきた描写のあたりだったでしょうか。嫁から、こんな質問が飛んできたのです。
それは嫌味を含むようなものではなく、純粋に疑問を僕にぶつけようとしたもののように思えました。僕はどう答えたものか迷いながら、いったんビデオの再生を止めてこんなことを言いました。
嫁は納得したようなしていないような表情で、僕を見ていました。返事を聞かずに僕が無言でビデオを再開すると、嫁も黙って見続けていました。
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戦争や日本人のアメリカに対する見方について、中国の人々に同じような質問をされることは、嫁に限らずこれまでに何度かありました。そこには「牙を抜かれた日本人」に対する揶揄のようなものもあったかもしれませんが、ほとんどはやはり嫁と同じように純粋な疑問としてそれを聞いているようでした。
現代の中国人からそうした質問が出てくる背景には、そもそも中国が戦争によって外国にやられたことを決して忘れない国だということと関係があるのかな、と個人的には見ています。
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