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「外国語低需要」の日本と、それでも外国語あった方がよくね? という話

中日翻訳者の明天会更好さんが、日本の翻訳・通訳の現状についての記事を書かれていました。

日本において、翻訳・通訳の重要性が理解されていないことや、マイナー言語への対応人材がいないことに危機感を持つべきだ、という内容でした。たしかに、大きな問題だと思います。

しかし、こういうのって日本でもう20年(30年?)くらい言われてることだと思うんですが、いっこうに改善の兆しがありません。どうしてそうなるのかと考えたときに、結局は「需要がない」ということになってしまうのかな、と思いました。

今日はそのこと及び、しかし本当に需要ってないのか? それでいいのか? ということについて書いてみたいと思います。

たぶん取り返しのつかない構造

まず、日本は現状、国策で特定の産業を育てたり、ある分野の教育を活発にするような国ではありません。理由はいろいろあるんでしょうが、そんなことをしたら既得権益層から「えこひいきではないのかねチミィ」みたいな嫌味が飛んできて、思い切った施策が打てないことが大きいのではないかと思います。あとそもそも、経済や人口がシュリンクして、どんどんそういう余裕が持てなくなってきていることもあるのかな。

というわけで、何かの産業や分野が伸びるためには民間で需要が伸びることに期待するしかないのですが、日本の社会はこれまた主観的に見れば「外国語ができなくても別に困らない」社会だったりします。これは国がそれなりに豊かで、内需だけでやっていける(いけた)というある意味幸せなことではあるのですが、こと外国語学習という点においては裏目に出ているのではないでしょうか。

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