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外国語という「戻れない道」を楽しくゆこう

こんなことをつぶやきました。

今日はこれについて書いてみたいと思います。

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どういう時に「中国語できない方がよかったかも」と思うかといえば、やはり中国の人々の嫌な部分(少なくとも主観的に見て受け入れがたいと思えるようなこと)や、しんどい部分に触れた時です。「世の中には知らない方がいいこともある」とはよく言ったものです。

言葉がわかることで相手の土俵に否応なしに乗せられ、手足を縛られて戦っているような感覚に陥ることもしばしばです。語彙や表現できる手段が圧倒的に少ない中で交渉ごとをこなしたり、自分の立場を説明しなければならないことには、それなりの苦労が伴います。

また、これは実際に外国語を使ったコミュニケーションをやってみてはじめてわかることですが、「言葉が理解できるからこそわかる対話不可能性」のようなものがあります。お互いに言語的な意味での言葉は通じているのに、話が全く噛み合わない。「あ、これは言葉の問題じゃないな」と気づき、どうやっても理解はできないどころか、妥協点を見出すこと自体難しいな、と絶望する瞬間があるのです。

こんなふうに思うのなら、何も知らないでいたほうが相手をリスペクトできていたのではないか、能天気なまま幸せでいられたんじゃないかと思うことがあります。

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少し話は変わりますが、言葉を学ぶことは楽器を学ぶことに似ていると思います。

僕は学生時代にドラムをそれなりに本格的にやっていたのと、あとギターとベースをかじる程度に弾いていました。もちろん楽しかったですし、それによって得たものはたくさんあるのですが、いっぽうで僕の中で永遠に失われてしまったものがあります。

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