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中国の治安は悪化しているのか

中国・上海の小売店ウォルマートで9月30日夜、刃物を持った人物が買い物客らを襲い、3人が死亡、15人が負傷した。

警察は「リン」という姓の男性(37)を逮捕したと発表。「個人的な経済的問題をめぐる怒りをぶつけるため」に上海を訪れたと話しているとした。捜査は続いている。

上掲記事より

中国では最近、上の記事のようになんらかの理由で追い詰められた犯人が、周囲を無差別に巻き込みながら大きな騒ぎを起こす、拡大自殺的な事件が続けて報道されています。

これについてよく聞くのが、経済不況が広がり、救いのない状況に追いこまれる人が増えたことによる治安の悪化だ、という声です。上の記事の事件の犯人も、給料の未払いについて雇用者側と話をしようとしたが、解決しなかったために凶行に及んだことが明らかになっています。

ただ、個人的にはこの「経済不況→治安悪化」というストーリーにはあまり腹落ちしていないというか、本当にそうだろうか? という疑問があります。今日はそれについて。

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このような事件のことを中国語では「報復社会bao fu she hui」などというのですが、類似の事件は不景気が叫ばれる前から珍しくはありません。下は2021年の時点で、同種の事件が頻発しているということを伝える記事です。

大抵の社会はそうといえばそうかもしれませんが、中国はとりわけ社会的な弱者への救いがなく、寄る辺を失ってしまった人のエネルギーが衝動的な犯罪やさらなる弱者への逆恨みに向かってしまいやすい背景があります。報道されないものも含めて、その手の事件は以前からあったと考えるべきだと思っています。

で、それが経済不況によって「増えている」のかどうかについて。たしかに個人的にも不景気や給料未払いなどの話を聞くことが多いし、経済的に苦しい人が増えているのも事実でしょう。ただ、それがただちに治安に影響しているかどうかは、ちょっと慎重な判断が必要なんじゃないかと考えています。

給料の遅配ももともと中国ではしょっちゅう起きますし(経営側のキャッシュフロー管理が極めていい加減なため)、それに対する救いが用意されていない、労働者にとって非常に不利な世界であるというのも今に始まったことではありません。

不景気によって給料不払いのような事件が増えている→それにともなって「報復社会bao fu she hui」のようなケースが増えつつある、というロジックには一定の説得力があるようには思えますが、体感でわかるほど急に増えるというのも若干おかしな話です。

むしろ、いまは不景気によってバイアスがかかり、上記のようなストーリーで物事を見やすくなっている現状なのではないか、というのが個人的な考えです。今のような時期に「報復社会bao fu she hui」事件のような報道を見ることで、「ほらやっぱり、不景気で治安が悪化しているんだ」という体感を得やすくなってしまっている、という現状なのだと思います。

実際、外を歩いていて街中の治安が急激に落ちたとは思いませんし、むしろ僕が中国に住み始めた頃に比べれば劇的に改善したなあと思うことばかりです。社会が揺らぐほどの動揺は、少なくとも現時点では起きていないと考えるべきでしょう。

ちなみに統計の上でも、殺人事件だけを見ても立件数は減少傾向、10万人あたりの殺人事件発生率は統計が有効な152カ国のうち140位と、相対的に中国が安全な国であるというのも一つの事実です。外交官が自慢する「中国は最も安全な国の一つ」というのも、あながち嘘ではないのです(統計がいい加減だと言われればそれまでですが、そこまで極端な嘘が統計に出るわけでもないので、減少傾向自体はある程度の事実でしょう)。

いまはまだ不景気の入り口に立ったところですし、これからもっと本格的に社会不安が広がっていく可能性はありますが、現時点では「経済不況→治安悪化(「報復社会bao fu she hui」事件の増加)」というストーリーが正しいかどうかの判断を下すのは、まだちょっと早いのではないか、というのが個人的な見解です。

むしろ、不景気によるバイアスによって「治安が悪化している」と実態以上に考えてしまうことに注意した方がいいのでは、と思っています。

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ただ、仮に中国の治安がそれほど悪化していないと考えた場合、非常に恐ろしいことも同時に見えてきます。

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