訳せない中国語、と訳せそうだけど一筋縄でいかない中国語
林伸次さんが、「訳せない言葉」について書いていました。
言葉にはそれぞれの言葉を操る人の感覚や、世界の見え方の違いが出ていて面白いな、というお話です。たしかに日本語には、外国語にした途端に何か大事なニュアンスが急激に失われてしまうような言葉がたくさんあります。
そして最後に、こんなことが書かれていました。
これはもう、中国語学習者としては書かずにいられません。呼ばれている気がします(幻聴です)。
ということで、中国語の「日本語に訳せない言葉」について書いてみたいと思います。
意味が広すぎる言葉
中国語でも汎用性が高く、日常でしょっちゅう現れる語には、訳せない……というか含まれている意味が広すぎて、しっくり対応する言葉をなかなか当てはめられないものが結構あります。
たとえば、「差不多」です。字面的には「差が多くない」、転じて「だいたい」ということなのですが、この「差不多」はとにかく日常のいろんな場面で用いられていて、無限の可能性を持っています。
たとえば「准备好了吗?」(準備できた?)という質問の答えとして「差不多了」(だいたいできたよ)ということもありますし、予定の時間が近いことを指して「时间差不多了」(そろそろだね)ということもあります。
名詞的な用法もあって、たとえば「待中国几年?」(中国に来て何年くらい?)というのに「差不多三年」(三年くらい)と使うこともできます。
特に中国語は品詞の区別があまりはっきりしておらず、活用のない同じ言葉がいろいろなふるまいをするため、一つの言葉が持つ役割が豊富です。そのため、訳をひとつに決められないところがあります。
同じような例でいうと、「安排」が挙げられるでしょうか。辞書的には「手配する」くらいの意味なのですが、そこには「段取りをつける」「根回しをする」「よきにはからう」など、非常に多くの意味が含まれています。
ちなみにこの「安排」は便利すぎて、在中日本人社会の間でも「うまくアンパイしといて」などのように日本語に組み込まれて使われる場合もあります。それぐらい便利なんですね、これ。
そもそも概念として日本語にない言葉
意味が広すぎるのとは反対に、そもそも概念としてどう扱っていいかわからず、日本語に置き換えられない単語もあります。
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