「国家主席マター」となった凶悪犯罪対策、その末路を予想する
先日起きた広東省珠海市での暴走自動車による無差別殺人事件に関して、習近平氏が異例の指示を出したということがニュースになっています。
中国語のニュースソースから、その内容を見てみます。
体としては看過できない重大事件が起こったので、すぐに対処しなさいということなのでしょうが、本当に言いたいことは後半のほうでしょう。
「汲取教训」「举一反三」(「一を聞いて十を知る」的な意味)という表現からもわかるように、これはすなわち「類似の事件の発生を全力で防げ」という中央からの強いメッセージだと読むことができます。
ちょうど昨日のマガジンでも取り上げた通り、現在の中国では社会的に追い詰められたとされる人々による、拡大自殺的な無差別凶悪事件の発生が連続して伝えられています。
昨今の不景気という背景もあって、「経済的な困窮や社会の閉塞感が『無敵の人』を追い詰め、凶行に走らせている」というストーリーが説得的となり、人々の社会的不安を高めていることは間違いありません。
これまで、この種の事件については詳細が伏せられる傾向にあったのですが、当然中央としても把握はしていたわけで、このたび「なんとかしなさい」という号令が習近平氏の名のもとにかかったということになります(逆にいうと、こうした事件の増加や対処の必要性を中央が間接的に認めたということにもなりますが)。
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これによって、今まで注意を向けてこられなかった凶悪事件に社会の注目が集まるようになり、治安の悪化や社会の不安定化に歯止めがかかって一安心……ということになればいいのですが、しかし中国という国で起きることを知っていると、どうも安心はできないというか、むしろ不安が大きくなる部分があります。
どういうことか、以下に書いていきます。
予想される混乱
懸念されるのは、こうした無差別的な凶悪事件への対処が晴れて「国家主席マター」となったことで、まったく本質的ではない対策が取られたり、むしろ人々の行動に過剰な制限がかかるようになってしまうことです。
中国において国家主席によって示された大方針は、中国の役人にとっては錦の御旗というか、その実行や達成を是が非でもアピールしたい最優先事項、あるいはそれに反する失態をまかり間違っても犯すわけにはいかない恐怖の枷となります。
その中で意思決定の権限を持つ各プレイヤーたちは、問題の解決を目指すというよりは、いかにその中で自分の利益を最大化するか(あるいは、損失を最小化するか)という動機で物事を進めることになります。
たとえば、今回の事件は公園のようなところで運動をしていた人のところに暴走自動車が突っ込む形で起きたものですが、じゃあ「公園の周囲には自動車が入れないようにしよう」とか「公園で運動するのを禁止しよう」とか、「そこじゃねえだろ」という部分に無駄な予算と労力が注ぎ込まれるかもしれません。
実行者はそれを「〇〇億元の予算を投入し、凶悪犯罪を未然に予防し、人民の不安を払拭し、部門一丸となって市民の安全を確保した」などと大仰に喧伝するでしょう。目的は事件の防止ではなく、成果のアピールだからです。
もっとディストピア的な予測で行けば、「問題を起こしそうな人」の行動を事前に制限するようなことも起きるのではないかと思います。経済的な保証のない人や、精神的に異常を認められた人はどこそこに入るのは禁止とか、外から扉を溶接して家から一歩も出られないようにするとか、そういう措置です。
その「問題を起こしそうな人」の基準は極めて曖昧で、1ミリでも疑わしきは罰せよ、というようなものになるでしょう。ひょっとしたら僕のような外国人は、何もやましいことがなくても、「外国人である」というだけで何かしらの行動制限を受けるかもしれません。
上への忖度のために、自分の管内で絶対に問題を起こしてほしくない管理層と、それにまた忖度する末端の実行者。そんな忖度の連鎖の中で、本質を見失った措置が横行することになります。人民の安全はむしろないがしろにされ、空しいアピール合戦だけが無意味に続けられることでしょう。
これが僕の、「国家主席マター」となった凶悪犯罪対策の末路がどうなるかの見立てです。
ゼロコロナとスズメの駆除命令
と、極めて悲観的かつ露悪的な予想を立ててしまいました。実際には同時に穏当な対策もとられるだろうし、そこまで悪夢的な世界は訪れないかもしれません。しかし、これに近いことは大なり小なり起きるだろうな、というのはある程度自信をもって言えます。その理由は、
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