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信仰上の理由により、あの世で別居

 バタバタしていたら、すっかり投稿するのが遅くなってしまった。お盆を母方の実家のある岩手で過ごしたときにふと思い出した話である。

 私の両親は、「〇〇教徒です!」と名乗るような人ではないが、父方と母方でお葬式のあげ方が異なるので、両家の「イエ」の宗教が違うらしい。母方は仏教式、つまり、お坊さんがお経をあげるお葬式である。一方父方は、「神葬祭」といって、いわば神道式のお葬式をあげるらしい。お坊さんの代わりに神主が来て、お経の代わりに祝詞みたいなのをあげる。仏教では、故人が極楽浄土に行けるように、とお葬式をあげるが、神道では、故人がその家の守り神になるように、とお葬式をあげる。その他、儀礼に関しては細かい違いが色々ある。

 神葬祭は明治時代に政府による神祇政策の一環として推奨され、神葬祭用に墓地が作られたこともあった。例えば青山霊園はその一つである。
 戦時中は「神道は宗教ではない(個人の信仰とは別に国民がみな崇めるべきものである)」という考えがあった。お葬式は宗教行為とみなされていたため、この考えとの整合性を取る上で、一部の例外を除き、神葬祭は禁止された。
 現在神道は宗教法人の一つなので、自由にお葬式に関与することができる。とはいえ、日本のお葬式の9割が仏教式で行われ、神道式はわずか2%ほどである。そのわずか2%の層に偶然父は生まれたのである。実際、父の部屋にはなんだかよくわからない神道アイテムが置いてある。(びっしり埃が被っていても祟りがおきないので、相当タフな神様だと思う。)

 母は父の家に嫁に入ったので、いずれは父方の家族と一緒に、父の実家がある福島のお墓で神葬祭をあげるのかと思っていた。しかし、母親は神道式のお葬式で自分が弔われることにとても違和感があるそうだ。それっぽく言えば、これこそ「信仰上の理由により、、」なのかもしれない。それもそのはず、母の家系は代々仏教由来の民間信仰「隠し念仏」を大事にしてきた人たちで、母はどちらかというと仏教のほうに信心深い。そのため、お葬式は絶対に仏教式を望んでいる。

 母曰く、父にはもうその意向は伝えていて、お互い死んだらそれぞれの実家のお墓に行きましょう、という話になったという。お葬式をめぐってここまで信仰心が前景化するとは思っていなかったため、早いうちにその意向を把握できて良かった。まあもともと夫婦仲はあまり良くないので、下手に一緒のお墓に入って祟りが起きたら、私が念仏なり祈祷なりで治めてあげるしかない。あの世で別居するくらいの距離感の方が良いのかもしれない。信仰上の理由により別居改め「別墓」した両親を、神様仏様は見捨てたりはしないだろう。

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