サラリーマン社会の結末
二つの道
社会の進むべき道が二つあります。自由の道と平等の道です。自由の道は通称「資本主義」と呼ばれ,平等の道は「社会主義」と呼ばれています。資本主義とは,単なる自由放任ではなく,有効な競争を作り出す道です。そのため,考え抜かれた法的枠組みを必要とします。一方で,社会主義とは,特定の存在(独裁者・政党・官僚機構)の計画に従うことです。しかし,人間の知性には限界があることから,人為的計画は必ず失敗します。
「人々は例外なしに何らかの偏った好みや特殊利益によって動かされているものであり,その意味で誰もが程度の差こそあれ専門家なのだ。そして,誰もが,自分たちの価値観は単に個人的なものでなく,合理的な人々が自由に討論すれば,他の人々もその正しさを納得するだろう,と考えているのである。・・・計画化への運動が現在かくも強いのは,漠とした野心の表われにすぎないにせよ,他の問題が目に入らない単純な理想主義者―ただ一つだけの仕事に人生を捧げている全ての男性女性―の多くを,それが結束させているからである。だが,彼らが計画化に寄せている希望は,社会全体を視野に収めて生まれたものではなく,限られた狭い見方,むしろ,自分たちの最重要目標の価値を大袈裟に誇張した見方から生まれてきているのだ。・・・社会を計画化することに一番熱心なこれらの人々は,その計画が採用される段になったとしたら,最も危険な人間,他の計画を一切認めない教条的な人間となりうる。気高くて純真な理想家が狂信者となるのは,しばしばただ一歩の歩みでしかない」(ハイエク「隷属への道」)
自由の道は競争社会につながり,平等の道は計画化につながります。そして,前者は社会のダイナミックな発展に,後者は衰退と停滞に至ります。ちなみに,競争と計画は両立しません。第三の道は存在しないのです。競争と計画は,「競争のための計画」という形でしか両立しないのです。
自由と企業家精神
自由とは,私的領域における自由,創造の自由です。と同時に,飢える自由であり,高価な過ちを犯す自由,命がけの危険を冒す自由です。この自由があるからこそ,社会全体を発展させる企業家精神が醸成されます。米国経済が強いのは,社会が自由の土壌に根ざしているからです。
マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツはPCを普及させ,知的革命を起こしました。アップルの創業者スティーブ・ジョブズはスマホを発明し,コンピュータを民主化しました。アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスはEコマースを立ち上げ,商業や買い物のあり方を変革しました。そして,エヌヴィディアの創業者ジェンセン・ハンはAI半導体を創造し,人工知能によって世界を変えようとしています。このように,米国経済の強さは企業家精神にあり,日本経済の弱さは企業家精神の欠如にあるのです。
サラリーマン社会の本質
企業家精神が完全に欠如した存在をサラリーマンと呼びます。日本では通称「社畜」と呼ばれているそうです。サラリーマンとは,時間を切り売りして固定給を獲得する者です。違う言い方をすれば,他人の意志を遂行するために利用される者です。サラリーマンは,企業の部品として働くことに慣れてしまい,単位時間あたりの報酬額を正常とみなす精神を培います。その結果として,自分の責任とリスク負担によって資源(才能・時間・金銭)を自己管理する能力を失います。「自分にはこれこれの額を得る資格がある」と考えるサラリーマンは,必然的に権利の怪物となり,政府に過大な要求をし,国家の社会保障費や税金を膨張させます。
サラリーマンの対極に位置するのが,自営業者や投資家・思想家です。自営業者は,固定化された金銭が保障されていません。故に,自分の力で商売を成功させ,利益を上げなければなりません。投資家も同様です。投資家は,時間を切り売りすればリターンが得られるわけではない。己の頭脳と胆力によって,乱高下する相場に対峙しなければなりません。芸術家や思想家は,努力したから,時間をかけたから,創造的作品が生まれるのではありません。人間的努力を尽くしたその先にあるインスピレーションにより,新しい価値を創造できるのです。しかも,産みの苦しみを経た芸術作品や新思想が,努力相応の対価を得られるとは限りません。数十年も数百年も経って後に,やっと評価される場合もあります。
憎むべき獣の勝利
時間を切り売りするサラリーマンで充満した社会にも,それなりの正義があります。しかし,その正義とは,旧約の預言者が求めるような純粋な正義ではなく,不平不満の別称です。サラリーマンの正義とは,自分より暮らし向きのよい人々に対する嫉妬や羨望です。サラリーマンの正義とは,他者が基本的ニーズすら満たされていない一方で,ある人々が富を享受していることをスキャンダラスとして表明する大きな富に対する敵意です。サラリーマンの正義とは,正義の名の下に己の欲望を偽装する偽善です。
日本社会は,平等の道を選びました。つまり,自由の道を否定しました。自由の否定は,必然性の勝利に繋がります。必然性の勝利は,責任と努力の否定に繋がります。そして,責任と努力の否定は,人格の否定に繋がります。自分の人生(命)を金銭のために売り渡したサラリーマン社会。ここに至って,黙示録の有名な予言が成就しました。
「地上の商人たちは彼女の言葉で泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者が誰もいないからです。商品とは,金,銀,真珠,麻布,紫布,絹,緋布,香木,様々の象牙細工,高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具,また,肉桂,香料,香,香油,乳香,ぶどう酒,オリーブ油,麦粉,麦,牛,羊,それに馬,車,奴隷,また人の命です」(黙示録18-11~13)
以下は参考書籍です。