真理の研究法
「我々の凝視の前に常に公開されている宇宙という,この壮大なる書物の中には哲学が書かれている。しかし,この書物を理解するには,まず最初に,そこに書かれている言語を理解し,文字が読めるようにならなければならない。宇宙という書物は数学の言葉で書かれているのである」(ガリレオ・ガリレイ)
科学と宗教
ガリレオが「宇宙は数学の言葉で書かれている」と言った時,近代科学が誕生しました。なぜなら,古書を読み漁る中世科学が,自然そのものを観察する近代科学に変貌したからです。同じことは,思想(宗教)にも通じます。聖書にせよコーランにせよ仏典にせよ,どういう学び方をするかによって,意味の把握が根底から変わるのです。
学習の発展段階
経典研究には,人間の宗教的意識に応じて,三つの段階があります。
第一段階が,「人に学ぶ」段階です。誰か詳しい人の解説を聞いて,物事を学ぶ段階です。キリスト教であれば司祭に,仏教であれば坊主に,経典の内容を学びます。
第二段階が,「書に学ぶ」段階です。自分の目で経典を読み,自分の頭で理解し,思想の精髄を学ぶ段階です。キリスト教徒なら聖書を,イスラム教徒ならコーランを,仏教徒なら般若心経や法華経を,ヒンドゥー教徒ならバガヴァット・ギータ―を読みます。
第三段階は,「心に学ぶ」段階です。経典は所詮「本」です,神や真理ではありません。我々は本を通して,己の心と対峙するのです。つまり,経典を通して己の深層心理的世界を渉猟し,心に内在する真理を発見するのです。
言葉の認知バイアス
人に学ぶ段階は,「話し言葉」を用います。そして,話し言葉には,話者(司祭・僧侶)のバイアスがかかっています。書に学ぶ段階は,「書き言葉」を用います。そして,書き言葉は,言語のバイアスがかかっています。心に学ぶ段階は,「ロゴス(神のコトバ)」を用います。そして,このロゴスこそ,心の奥底(集合的無意識)を解明する手がかりなのです。
キリスト教と社会構造
古代・中世は,カトリック教会が支配する時代でした。そして,カトリックの特徴は,司祭から信徒に知識が伝達される強固な組織形態にありました。いわば「話し言葉」の時代です。そして,強固な教会組織があったからこそ,人類の文化的遺産は異民族の破壊(ゲルマン民族の大移動)から免れたのです。
近現代は,プロテスタント教会が活躍した時代でした。そして,プロテスタントの特徴は,信徒が自分自身で聖書を読む習慣にありました。いわば「書き言葉」の時代です。活版印刷の発明が,書き言葉の普及に拍車をかけました。そして,多くの人々が聖書を読もうとしたからこそ,プロテスタント諸国を中心に識字率が劇的に向上し,オランダ・イギリス・アメリカを中心に世界が発展したのです。
しかしこれからは,もっと先へ進まねばなりません。他人の説教でも経典の文言でもなく,己の心の内に真理を見出さねばなりません。つまり,話し言葉でも書き言葉でもなく,ロゴス(キリスト教的にはロゴス・キリスト,イスラム教的にはロゴス・ムハンマド,仏教的には大日如来の言葉・阿)によって心の秘密を解明し,神に託された己の霊的本質(イデア)に目覚めねばなりません。そして,秘められた神性に覚醒する時,各人は唯一無二の独自性と創造性を発揮し,イノベーティブな未来社会が実現するのです。これが,AI時代の宗教的意識でなければなりません。
「経書は本心の単なる説明注釈に過ぎない」(佐藤一斎)
以下は参考書籍です。