聖書の成立~原典Xとは何か?~
はじめに
世界で最も読まれている書物,それが聖書です。聖書は,世界史を動かした原動力といっても過言ではありません。民主政治も近代科学も資本主義も民衆教育も,聖書なくして成立し得なかったのであります。
では,この貴重なる聖書は,一体どうやって誕生したのでしょうか?聖書の究極の原典とは,一体誰が製作して,いつ成立したのでしょうか?今回はそれを解明すべく,歴史を遡って参りましょう。
聖書の資料
小文字写本
私たちが読んでいる聖書は,たくさんの資料を精査して成立しました。多くの写本を比較考量し,本文を確定する作業。これを「正文批評」と呼びます。ちなみに,多くの歴史家が合意することですが,20世紀最大の発明・発見は「量子力学と精神分析学と正文批評」と言われております。つまり,新約聖書の正文批評は,物理学と心理学に比肩される偉大な知的革命とみなされているのです。
聖書の資料の多くは,9世紀から16世紀に成立した「小文字写本」です。大量に筆写されたもので,計2795冊あります。小文字写本の特徴は,あまりにも後代に成立した写本であることから,多くの間違いや教会の書き換えがあることです。故に,本文を確定する資料としては,あまり参考になりません。
大文字写本
正文批評において最も重要視されている写本を「大文字写本」と呼びます。4世紀から10世紀に成立した写本であり,計269冊あります。大文字写本には多くの型があり,型によって筆写・流布した地域が異なります(ストリーターの局地本文説)。アレクサンドリア型は地中海の南方アフリカ地方で成立した写本であり,シナイ写本やバチカン写本が有名です。西方型は地中海の北方ヨーロッパで成立した写本であり,ベザ写本が有名です。また,カイサリア型は地中海の東方小アジアで成立した写本であり,代表的な写本としてコリディティ写本があります。
聖書の本文を確定する際,最古の写本であるシナイ写本・バチカン写本(4世紀)とベザ写本(5世紀)を重視します。簡単に申し上げれば,これら三つの写本の比較によって,聖書本文を確定しているのです。
パピルス
小文字写本も大文字写本も,「コデックス」と呼ばれる冊子状の書物です。コデックスの誕生は,多くの紙を糊付けすることから,紙の性質や製本技術の発達が必要でした。コデックス以前には,「パピルス」と呼ばれる巻き物状の書物が主流でした。このパピルスは,最も古い聖書の資料ですが,保存状態が非常に悪く,その多くは断片として発見されております。だいたい3世紀から4世紀頃のものが多く,計86枚発見されております。このパピルスの中で,最も古く,かつ,保存状態が良いものが,世紀の大発見と呼ばれたチェスター・ビーティ・ビブリカル・パピルスです。
最古の原典X
パピルス46番
私は,長年正文批評を行なってきた結果として,チェスター・ビーティ・ビブリカル・パピルスの一部である「パピルス46番」が,現存する聖書資料の中で最も原典に近いと考えております。理由は二つあります。第一に,すべての型(アレクサンドリア型や西方型)の由来を説明できる資料であること。第二に,教会の書き換えの痕跡がきわめて少ないこと。キリスト教会は,自分たちの教義に合致させようと,長年に渡って聖書を改変してきました(これは,多くの専門家が指摘している事実です)。教会が手を入れた写本の特徴は,終末論を誤解していること,倫理的要求を回避すること,選民思想を植えつけることです。教会が,どのように聖書を改変し,どんな意図で書き換えたかは,また後日お話し致します。
さて,パピルス46番の話に戻りましょう。パピルス46番は,2世紀前半に成立した最古の聖書資料であり,パウロ書簡の大部分が収められています。順番は,「ローマ書・ヘブライ書・コリント書Ⅰ・コリント書Ⅱ・エペソ書・ガラテヤ書・ピリピ書・コロサイ書・テサロニケ書Ⅰ・テサロニケ書Ⅱ」です。聖書に馴染みのある方は,現代の聖書と順番が違うことがおわかりになると思います。
マルキオン聖書
では,パピルス46番より古い資料はないのでしょうか?残念ながら存在しません。しかし,他の資料により,パピルス46番の前身らしきものは存在していたようです。それが「マルキオン聖書」です。マルキオンはキリスト教の異端者であり,パウロの思想に絶大な感化を受け,聖書の原型を初めて作った人です。彼は,ルカ伝とパウロ書簡をまとめて,旧約聖書に代わる「新しい聖書」と称しました。ちなみに,マルキオン聖書にマタイ伝やヨハネ伝など他の福音書が追加され,今の聖書が成立しました。
ここで私たちが注目すべきは,マルキオン聖書におけるパウロ書簡の順番です。順番は,「ガラテヤ書・コリント書Ⅰ・コリント書Ⅱ・ローマ書・テサロニケ書Ⅰ・テサロニケ書Ⅱ・エペソ書・コロサイ書・ピリピ書・ピレモン書」です。マルキオン聖書とパピルス46番を比べると,順番や掲載書簡が異なります。これは私の推測ですが,パピルス46番の製作者は,マルキオン聖書にヘブライ書を加えて,書簡を長い順に並べ替えたのではないでしょうか?いずれにせよ,教会から異端と蔑視されたマルキオンが聖書成立の恩人だったとは,歴史の皮肉といえるでしょう。
※マルキオンが異端とされた理由は諸説ありますが,最大の理由は,旧約聖書の正統性を認めなかったことにあります。マルキオンにとって,神はパウロの説く「愛の神」であって,旧約的な「正義の神」,人間に厳しい律法を要求する存在ではなかったのです。
自筆原文
ここで一つ疑問が残ります。マルキオンの証言によると,マルキオン当時,すでにパウロ書簡集が成立していたそうです。とすれば,マルキオンが利用したパウロ書簡集こそ,聖書成立の原点ということになります。成立年代は紀元90年,きわめて使徒たちに近い時代であることから,この書簡集を「自筆原文」と呼ぶことにします。
この自筆原文において注目すべきは,やはり書簡の順番です。順番は,「エペソ書・ローマ書・コリント書Ⅰ・コリント書Ⅱ・ガラテヤ書・ピリピ書・コロサイ書・テサロニケ書Ⅰ・テサロニケ書Ⅱ」です。これも私の推測ですが,自筆原文を手にしたマルキオンは,自分が最も重要と考えたガラテヤ書を前に置いてエペソ書と交換し,他の文書を長い順に並べ替えたのではないでしょうか?(なぜ,マルキオンはガラテヤ書を重視したのでしょうか?それは,ユダヤ教的な律法を否定しているからです)
しかし,再び疑問が残ります。なぜ,自筆原文の著者は,最初にエペソ書をもってきたのでしょうか?なぜ,たいした思想が書き記されていないピレモン書を,パウロ書簡集に加えたのでしょうか?(ピレモン書は,たった1章しかない,パウロの個人的な用件を記した手紙です)
聖書成立の立役者とは誰か?
再び私の仮説でありますが,自筆原文の著者は,エペソ在住のオネシモだったのではないでしょうか。古代都市エペソは,小アジアとアレクサンドリア・西方の中間に位置するパウロの活動拠点でした。また,オネシモは奴隷であり,その主人はピレモンでした。ちなみにピレモン書は,使徒パウロからピレモンに送った書簡です。ピレモン書においてパウロは,ピレモンの奴隷であるオネシモを寛大に許し(オネシモはピレモンに何らかの過失を犯したようです),神に造られた人間として扱うよう懇願しています。またパウロは,オネシモを自分の同志として,福音流布の協働者として,自分のもとに留まることを許すよう乞うています(「オネシモの負債はすべて自分が肩代わりする」とまで断言しています)。
私の仮説はこうです。パウロの死後,パウロの福音は忘れ去られようとしていた。それを危惧した弟子のオネシモは,パウロの書簡を方々から収集し,福音を後世に残すよう企図したのではないでしょうか。そして,パウロ書簡集を作成する際,パウロの福音の要点を簡明に書き記し,それをエペソ書と名づけ,書簡集の冒頭に序文として置いたのではないでしょうか。また,パウロが自分のために尽力してくれた思い出深きピレモン書,このピレモン書を書簡集の最後にもってきて,いわば自分自身の署名としたのではないでしょうか。当時,生きる道具(アリストテレス)と称されていた奴隷。その奴隷であるオネシモを,パウロは同じ人間として,神の子として,高貴な人格として扱って下さった。その絶大の恩義に対し,オネシモは感謝の意を表して,パウロ書簡集を作成したのではないでしょうか。パウロが信じたキリストの福音,この福音こそ,全人類を救済する唯一無二の思想だと信じて。聖書最古の原典とは,パウロの愛に励まされた奴隷オネシモの報恩業であったと,私は考えています。そして,パウロをして奴隷オネシモを愛さしめたその愛は,キリストの十字架による罪の赦しであることを忘れてはなりません。キリスト→パウロ→オネシモと波及した愛の波動は,今や世界全土を駆け巡り,聖書を通して地球表面を一変してしまったのです。
おわりに
私の仮説に立てば,エペソ書は単なる「パウロの擬似書簡」ではなく,福音の奥義を記した重要な書です。この短い書簡の中に,イエスとパウロの福音の本質が開示されています。「新約聖書を理解する鍵はエペソ書にある」といっても過言ではありません。後日,エペソ書の意味論的研究を投稿します。
参考動画です。