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愛の順序


はじめに


 愛には順序があります。正しい順序は,まず神を愛し,次に他者を愛し,最後に自分を愛することです。一方で,間違った順序は,まず自己を愛し,次に他者を愛し,最後に神を愛することです。愛の順序を間違うと,人生観が狂い,世界観が狂い,人間関係が狂い,人間内部が修羅の巷となります。

間違った順序


自己


 大多数の現代人は,まず初めに自分を愛します。そして,自分探しの旅に出る。しかし,どんなにもがいても,どんなにあがいても,本当の自分は見つかりません。なぜなら,「本当の自分」などという存在は幻想であり,己の心の中身が空っぽだからです。自分探しとは,まるで鏡を二枚向き合わせるようなものです。鏡Aは鏡Bを映し出し,鏡Bは鏡Aを映し出し,繰り広げられる無限の虚像の果てに,人間は怪物を発見せざるを得ないのです(ニーチェ)。

他者


 心理学者コフートが主張したように,自分を愛せない人間は他人も愛せません。では,自己愛なき人間は他者をどう扱うのでしょうか?それは,「自分の空虚な心の中」を埋めるための道具にします。つまり,自分で自分を愛せない代わりに,他者をして自分を愛さしめるのです。他者を「承認欲求の道具」とみなすのです。これぞまさしく,究極の自己中心主義です。


 正しく自分を愛せない人間,心から他者を愛せない人間は,偽りの自己愛を肥大化させ,それを「神」と称します。いわゆる自我肥大(セルフ・インフレーション)です。旧約聖書には,真の神に背き金の子牛(偶像)を崇拝した愚かな民衆が描かれています。肥大化した自己愛とは,抽象化した偶像崇拝です。そして,このような神を愛すれば愛するほど,人は自然な人間性を失い,生きる意味を失い,主体性と創造性を失っていくのです。哲学者フォイエルバッハが言ったように,「宗教とは自己分裂」なのです。

正しい順序



 健全な人間は,まず初めに神を愛します。正義と愛の創造主であり,イエス・キリストの父なる神を愛します。自分は後回しです。これ,当たり前のことです。赤ん坊は,まず親を愛します。親に手を伸ばし,親に縋り,全身全霊をもって親を愛します。自分ではありません。そもそも赤ん坊は,「自己」という観念がありません。赤ん坊は,親の存在を通して,自己を形成するのです。それと同じです。人間は,神を愛し,神を通して自己を形成します。神を愛するか否か?ここに,人生のすべての問題が原因しているのです。英語の諺にある通りです。

Be right with God, and all will be right.
神との関係を正しくせよ,そうすれば全て正しくならん。

他者


 神を愛することにより,心から他者を愛することができます。なぜなら,他者の背後に神を見るからです。意見を異にする相手も,価値観や立場が全く違う相手も,敵でさえも,同じ神に創造された人間仲間であり,イエス・キリストが救うために死なれた方なのです。神が十字架の死に至るまで愛した人間を,なぜゆえ我々が否定できるでしょうか?
 隣人愛とは,慈善活動でも感動的なスピーチでも一時の感傷でもありません。ましてや,余計なお節介でも独りよがりの親切でもありません。隣人愛とは,神によって清められた意志です。

自己


 神を愛し他者を愛することにより,人は初めて自分を愛することができます。なぜなら,神から本来的自己を与えられ,それを隣人愛によって実現するからです。本来的自己とは他でもありません,信仰+愛です。「信仰という縦木」と「隣人愛という横木」の十字架,この十字架の中心に,本来的自己が秘められています。そしてこれ,私がキリストを信じているからこじつけたのではありません。理性的に考えて,ひどく当たり前の事実です。
 神を愛するからこそ,私たちは狭い自己中心主義を脱し,中立的な立場から物事を観察できます。他者を愛するからこそ,他者の目を通して自分を知ることができます。鏡に映る自己は偽りの自己です。なぜなら,美しく見せようと身構えているからです。自己を意識しているという意味で,それは現実の自己ではありません。古代ギリシャの格言に,「ダイモニオン(守護霊)は自分だけ見えない」という言葉があります。つまり,本来的自己は我々の背後にいるのであって,我々が対象的に「これが本当の自分だ!」と確認できる代物ではないのです。
 いずれにせよ,本来的自己は神を通してやって来ます。イエスや使徒に言わせれば,「聖霊がすべての秘密を教える」のです。自分探しはいつ終わるのでしょうか?それは,完全に自己を忘れて,己の使命に没頭する時です。自己を犠牲の祭壇に捧げて,真理のために戦う時です。まさしく,イエス・キリストの生き方こそ,自分探しの究極の答えといえるでしょう。

最後に


 大多数の現代人は,まず自分を愛し,自分のために他人を愛し,自他のために神を愛します。一方で,偉大な人間は,まず神を愛し,神によって他者を愛し,神と他者のために自己を用います。前者は卑しい凡庸であり,後者は気高い勇敢さです。人間の本質は,偏差値や学歴の高低でも,職業や家柄の種類でも,給料や資産の多寡でも,教養や美貌の有無でもありません。人間の本質とは,「何を第一に愛しているか?」にかかっているのです。
 

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