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なんで記事を書くのか

最近である。記事を書き始めたのは。

というわけではない。

最初にブログ見たいのを作ろうと思ったのは、ネットビジネス系YouTuberの影響であったはずだ。
学生でも稼げるとか、月商100万円とか。

で、わかったのはそのお金のために行動できる人種ではないという自分への認識だ。今は、作りたいもののためにはお金とかどうでもいいくらいに行動ができていると思ってる。

それこそ、できるところまで止まらないで作り上げる感じである。

というわけで、それは一度挫折した。

そして2度目これはnoteの最初の方の記事のことであるが、今あるアプリの宣伝と自己プロモーション的なのできるんじゃね?とか思ったのが再燃した。

そして結果。挫折である。

そもそも目論見が甘すぎる子供みたいな感覚を、今考えると受ける。人生舐めんなって言われるレベルである。

というか、その反省があり、今は継続するのがとりあえず必要な条件だな見たいな感じで行動を始めている。

そして3回目。今書いているこの記事もその流れの中の産物である。友人がたまにnoteに記事を上げる点。時々反応(スキ)が返ってくるなどによる点。
これらによって、記事を書くことで考えが整理され記録されるから書こうかな。といったところである。

まあ、特に結論が薄い記事であるが、今のところ自分にとっては記録できる(読み返して参考資料にできる)、この記事をどこかの誰かが読むかもしれない、その参考になれば程度である。

なぜ書く理由を考えるのか

それは、理由を考えた行動を自分は取る癖があり、逆にそうでない行動もあるからである。

その二つをそれぞれ挙げてみる。

理由が明確な行動。
・アプリケーションを作るための作業
・趣味の練習

理由が不明確な行動
・ゲームをする
・記事を書く

ちょっとサンプルが少ないかもしれないが、これでひとまず。

でもって、今書いていて思ったのは、理由が不明確なものはどちらかというと志しをもって始めたものではないという感じである。

志がないとだめなの?というわけでもないと思うが、記事を書くメリットと志を持つメリットをそれぞれ考えたい(調べたい)と思う。

記事を書くメリット

自分の記事を書く最たる目的は思考の整理とコンテンツ化。そして、長い文章を書きたいなってときに紙ではなくnoteを利用すると思われる。
また、現在も自然にそうしている気がする。

この記事の著者は成長を目的とし、読書などのインプットを行うに際して、記事にアウトプットするのが最たる目的らしい。

・読書などのインプットの精度が上がる
・思考が整理されてアウトプットの質が上がる
・アフィリエイトやGoogle Adsenseでお小遣い稼ぎができる
・承認欲求が満たされる
・自動的にライフログ・日記になる
・最高の営業ツールになる
・自分にとって「当たり前のノウハウ」でも、そのネタに興味がある方に喜んでもらえる

この中だと、
・思考が整理されてアウトプットの質が上がる
・自分にとって「当たり前のノウハウ」でも、そのネタに興味がある方に喜んでもらえる

がいいメリットかな。アウトプットの質というのが抽象的ではあるが、広く散らばったアイデアを出したりしてくる思考を、理論や段階を考えた思考に運んでくることができると思う。

これはいい点に思う。

そして、「メモの魔力」という本でのコンセプトに似ている気がする。
今は確認していないので誤読が怖いが、気づきや思考を自分の行動へ落とし込むという点では近いものを感じる。

また、自分事ではあるが、アイデアを実現したいという考えが自分にはあるので、その散らばったアイデアを論理的に理解できる形に持ってくるという点では有効である。

ただ、これはノートとペンでもよくないか?と思うじゃん?

すぐに思いつくものとしては、見直したときにわかりやすいのと、そもそも見直しやすい。

あと、文字の入力が鉛筆やペンよりも楽である。これにより、長文が生成されやすい。

逆に言えば、長文になりやすいため、余計な文章を挟みがちになるというデメリットとしてもとらえることができそうである。

見返さないだろう物はノート、見返すかもしれない依然ふわふわした状態のものはこの記事とかでいいだろうか?

まあ、気分で何となく使っていくとは思う。でも紙と比較できるくらい記事を書きやすいという何とも面白い時代に世の中は変わるもんだなと、少し感心してしまう。

ブログを書くことのメリットは6つ
文章力が上達する
Webマーケティング力が上がる
収益の機会が増える
知名度が得られ、ビジネスに繋げやすくなる
問い合わせが増える
情報収集の習慣がつく
ブログを書くことのデメリットは2つ
時間を失う(書くことに慣れないと時間がかかる)
立ち上げ当初はアクセスが殆どない

この記事は、稼ぐことを想定して始める場合である。

ちょっとそれてるかも。

日記ブログで得られるメリットは沢山あります。
中でも私がアフィリエイトを知る前から
実感していたことを書きますね。
1:自分の行動や考えを客観的に見ることができる
2:意識的に物事を観察できる(記事ネタにできるかなと思うので)
3:モチベーションアップになる(ブログ仲間ができるから)
4:失敗も記事ネタにできるのでめげなくなる
5:調べる事で知識が増えていく
6:考える力がアップする(記事をまとめる必要があるので)
7:備忘録になる(美味しかったレシピ、お店など)
他にも継続力がつくとか、文章力アップや
収入を得ることも可能になるなど
たくさんメリットがありますが、これくらいにします。

たぶんこれが一番近い。日記ブログの方ですね。

備忘録になる点が一番わかりやすいかな~。

自分のイメージとして、この記事っていうのは本に近いイメージを持っています。過去に考えたこと興味あることに関して納得いったことや逆に疑問を疑問という形で記録できる点で、のちに見ようとやはり思えるのですよね。

記事を書く目的の結論

そして、3つのサイトを見て思ったのが、自分の記事を書く最たる目的は思考の整理とコンテンツ化。そして、長い文章を書きたいなってときに紙ではなくnoteを利用すると思われる。
また、現在も自然にそうしている気がする。

コンテンツ化っていうのは本みたいに保存できるって感じ。

でもこれ、サービスが終わってデータが消えるとかなったら悲惨ですねw。

そのために取りうる対策はバックアップだけど、noteってそんなサポートしてくれるのだろうか。

いつか自分が有名人とかになってこの記事とかをまとめて書籍化するとかになったら、自分でバックアップ取る必要なくていいんだがなぁ笑

今は特には行わないのでこのくらいで調べませんが、やっぱり自分でする感じですよね。

自分のアプリにもデータ保存とバックアップ機能とか組み込めるかなぁ。わからん。

話がまた飛びますが、見出しの下に書く結論ですが中央寄せにすることにしますね。サイト内文章の引用と区別するために。

志を持つメリット

ついでに見返せたり、誰かの参考になったらいいなって感じかな?この記事を書く志を上げるなら、それは「自分のアイデアを実現する」というものであると思う。証明できはしないが、自分ではわかっているはずだ。

これから志に関するメリットを考えるのですけれど、その前に今の自分の考えを述べると、行動を続けるような状態いわゆる客観的に見た意志力のようなものが付き、挫折から復活するのに有効である点。

自分で挙げたサンプルに戻るけど、ゲームに飽きてやる意味を見出せなかったので10年以上中毒レベルでしたが、もうやっても週1くらいで1時間以上やると体調悪くなるレベルで、やりたくもないのでやってないです。志がないとこんな感じになると思ってる。

仕事において志を持つことのメリットは「自身の精神的支柱」「周囲への旗印」「成し遂げたいものとのズレを示すアンカー」であり、すべてにおいて志は自身が目指すものに対する絶対的な規範となるものです。

読む前の感想です。
どうだろ、絶対的でなくてもええんちゃう?途中でこっちの方向がいいと思ったら切り替えても。
そのレベルだと続かないということだろうか?それとも志の変更はこれをないがんしているという感じだろうか。

ここから一通り読んだ感想です。
自分のイメージする志には近いと思う。辞書も用いて、しっかりとしてる内容の記事だと思う。

志の結論

継続とか、挫折からの立ち直りに使えるが結論かな。「独学大全」の受け売りだけど。

それで思ったけど、別にこの記事を毎日続けるとか、自分の中では正直どうでもいいのかもしれない。

今も記事を書いているのは「なぜ記事を書くのか」という疑問を自分の中にわかりやすく落とし込むためである。簡単に言うとではあるが。

ついでに見返せたり、誰かの参考になったらいいなって感じかな?この記事を書く志を上げるなら、それは「自分のアイデアを実現する」というものであると思う。証明できはしないが、自分ではわかっているはずだ。

ついでにもう少し調べちゃう。

やっぱ疲れたから面白そうな記事を張り付けときます。

巻き込むのではなく、共有するそうです。

最後に

さあ、記事を書くのはやっぱ不定期でいいな。自分は書こうと思って書くのは向いてない。

書きたいって思ったら書きますね。今みたいに。

今好きな曲

追記 20201118

長文が記事になりやすいと当時の自分は言っていたが、それは紙と記事の作成を比較した時に作業の始めやすさが同一である場合についてだ。

紙のほうがすぐ書けそうという環境やイメージがあればそっちが優先になるし、逆もしかりである。

仮に、紙をその優先媒体という形で終結させたとしたら、記事にするのは、個人的に面白い考え見つけたと感じたときか誰かの反応が得られのではと考えたときである。若しくは、記事にある通り長期的に記録して再検索できるようにしたいと感じたときというのが現状であると考える。

また、コンセプトがある程度まとまっているものに関するアイデアをまとめるときはルーズリーフが現状最強である。

追記20201119

毎日書こうと思って書くのは向いていないとの記述が本文にてなされているが、別にその限りでないと思う。

毎日一つの記事を投稿するなら、twitterじゃないけど文字数制限したり、最低限を決めたりすることで対策は取れると考えるからだ。
いずれにしても、記事を毎日書くことでなそうとしていることは特にないから今のところそれをしない方針ではいる。

ただ、今この書いている文章を含めて、文字自体は書きまくってるから、そのレベルだと毎日の実行や継続はできていると把握して遜色ないと考えている。

話が多少それるが、記事という不特定多数が閲覧可能になることで、少なからず強制力が働くというのも記事を書いている理由な気がする。

記事にすると、結論を導出して示さなければという思い込みである。ノートに書くとそれもやらなくてもばれないからというのも変であるが、記事にすることでよりすっきりする気がするのである。

これは経験論だから何とも言えないものであるが。

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