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責任感について少し考えた

責任感もこれまたよくわからない。
これくらいもう少し頑張ればできるだろうという、自分を客観視した後に改善を促すための感情。

不安や焦りに近いものを感じる。
要はできるはずと思うのにできていない場合は、できていないから不安になる。

そしてこれもおそらく程度の問題に昇華できるのだが、少しわからない。

アプローチ先を考えてみる。

  • できるはずであると考えるその頭、及び思考への観察と関連する気づきを求める対応

  • 行動の傾向を観察してその考えのようになるように実践する対応

言葉にするとシンプルで、実現できそうなら後者でそうではないなら前者で対応するべきなのだろう。

具体例で考えてみる。
今は私はアプリ開発をしているがもう少しその作業に精を出せると思っているが、実態はある程度作業をしたら手を止める。
そしてゲームを始める。最近はドラクエウォークである。

サンダルで足が痛くなってきたので、リカバリーサンダルの購入もした。

そして、以前別のノートで30分でゲームを辞めるみたいなことを書いたが全然していない。
むしろ嬉々として町中を半袖短パンのサンダルで歩き回っている。

とか考えてたら寝落ちした。

一晩寝て不安から解放された状態で今考える。
この事象は仏教における四苦八苦に含まれる苦しみに該当する。
参考にしたページ、https://shuchi.php.co.jp/article/10615?p=1

そんなこと言ったら大体当てはまるだろう。
他人との比較や、理想への妄想と比較することで苦しい気持ちになるという人間の本能的な性質のことだ。

これらの苦しみを感知した上でいつも通りに過ごすのが、ある種の良い状態だろう。

この辺の良い状態については追ってまた情報を精査したい。

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