承認欲求が強い人も表に自己顕示欲が見えるわけじゃないと思う
ある人の話です。
その人は自分の今に満足していないようでした。やりたいことがやれているはずなのに何か不足感がある。といった印象を自分は持ちました。
自分のことが好きでないから、誰かに好きになってほしいと考えていそうという印象を抱きました。
その人に対しては普段やらないこと。めんどくさいことに取り組んでみることをお勧めしました。
その結果面白いと感じるものに出会えることもあるし、そうでなくても経験はいつか思い出し、思考の根拠になるから。
アドラー心理学の嫌われる勇気という本を読んで考えたので、深いところに承認欲があるように感じました。
だからその本もお勧めしました。
ですがこれは一個人の考えで、その行動をとったところで不足感がなくなるかはわからないし、そもそもあるかもわからないです。
そしてその行動をするかどうかも、嫌われる勇気によれば本人の勇気によってなされるものである。私に介入の余地はなく、そうしたい意思をくみ取れたら助けるのみだと思う。
内容が無いようだ。
なぜ書いた
普段しない、人に対して考えていることを文字に起こしてみようと考えたから。書きました。
人生は楽しむためにあるという人がいますが、私の場合は今のところ、考えるためにあるといっても過言ではない気がしている。
だから書いたのかも。