ダンスの話 オーラの出し方
こんにちは。
私社交ダンスの教師という仕事をしていますが、その傍ら自分の趣味というかライフワークというか、東洋医学的なこととか、スピリチュアル的なことが好きで本を読んだりもします。
スピリチュアル分野もかなり細分化できるくらいアプローチ方法があると思うんですが、私の場合は身体に対しての「意識」の役割だったり、他の記事でも書いている通り科学視点での「波動」と引き寄せ的な世界の「波動」の間をいくようなものに興味があったりします。
そんなわけで今日はオーラの話をします。
私から教わった人はみなさん一度は「オーラの出し方」を教えられた人が多いと思うんです(聞かれてないのに笑)
オーラには大きく二つ意味があって、スピリチュアル界で使われるオーラとは目に見える肉体の周りに広がる通常は目に見えない幽体などを指すと思います。(たまに見える人がいる)
「あなたのオーラは〇〇色です」とかはそういうものを指しており、だれにもオーラは必ず存在するはずです。
私がここで言う「オーラ」は意訳すると「存在感」です。だから芸能人やアスリートなどの一流のパフォーマーは「オーラがある」などと言われますね。
前者の意味だと必ずだれもが持っているのに、後者の意味では持っている人は少ない。これら二つは全く別物を指すのか、それとも同じものが視点を変えて表現されているだけなのか。
どちらも共通するのは「目に見えない」ということだけど前者は「見える人には見える」後者は「目で見えない人にも感じられる」というところでしょうか。
そこで私が「オーラの出し方」について考えるようになったきっかけを一つご紹介したいと思います。
この話は、生徒さんには耳タコくらい何回も話したと思います。
新橋の雑踏で
それは今からもう15年も前のこと。
私は当時勤めていた会社の異動で東京の本社に一年近く勤務することになり、都内で生活していた時期があったのです。
ある休日の日、私は何かの用事で出かけて、新橋に行きました。
JR新橋駅は、いわゆるサラリーマンの街?
よく、新橋駅前でテレビの街頭インタビューなんかをしていますね。
銀座も近いし、新宿ほどではないけど人の往来の多い町です。
確か、もう用事を終えて、帰るために新橋駅に向かって歩き、駅構内にちょうど入ったくらいだったと思います。
そのとき、そこそこ人も多く歩く雑踏の中で、何か目が勝手に前方から来た人物に吸い寄せられました。
その方は女性でした。少し背は高めだけど、特に派手な服を着ているわけでもない。でも見ようとするでもなく目がスーッとそちらに向かったのです。
そのとき私は「アッ あの人は…」と気づきました
彼女はとある大きなバレエ団のプリマだったのです。
私はダンスをやっているからと言って、別にバレエには詳しくありません。
その人の特別なファンだったわけでもありません。
ただ、たまたまテレビに出ていたのを見たことがあって、顔も名前も知っていた、ただそれだけでした。
バレエダンサーといえば熊川哲也さんや草刈民代さんのように、一般人も知ってる超有名人もいますが、彼女の場合はおそらくバレエ界では超有名人だろうけどバレエを全く見ない一般人はテレビで見た人しか知らないかも?という人でした。
その人に目が吸い寄せられた。
顔が目に入ったのではなく、目がそちらに行って彼女の顔をとらえた。
それが正しい表現でした。
私はどちらかというとそのときぼーっと歩いていたくらいだったのに。
なぜだ。
「もしやあれがオーラってやつ…!?」
まあほんとにそこからなんです。
ただ普通に歩いているだけの人に目が吸い寄せられた経験。
いったいあれはどうやったら出せるのか。
そんな研究が始まりました。
だってダンス踊ってるときにそういう風にみられるようになりたいじゃないですか。
世界チャンピオンにも聞きました
なんだそりゃって言われそうだけど、私は世界チャンピオンにも「オーラの出し方」を聞いたんです。
自分の中である程度答えは出てはいました。
「姿勢」はものすごく重要です。
件のバレエダンサーも、やはり日本トップレベルのダンサーですからポスチャーは秀逸だったと思われます。
だから私もあの日の彼女のように雑踏の中でめっちゃ姿勢よく歩いて、「商店街で人の視線をこちらに集められるかの実験」みたいなことをやりました。(今もしょっちゅうやっています)
で、世界チャンピオンに聞いたらなんて答えてくれるんだろうか。
彼らが何を大事にしているか。
以前レッスン受ける機会を得ることができたので聞いてみたんですよ。
いやこんなこと、たぶん聞いたの私くらいかもしれない。
何その質問 恥ずかし!っていうレベルの質問かもしれませんが私は真剣です。本気です。本気と書いてマジと読む。
もちろん彼は真剣に答えてくれました。
私の中である程度出ていた答え合わせの瞬間です。
考えていたことは全く間違ってはいませんでした。
姿勢は当然のことですが、レッスンで言ってもらったことの一つで一番印象に残っていることがある。惜しげなくここに書いちゃいますが、それは「eye projection」
あの雑踏の中でみた彼女も持っていた。
パッと見たとき、何か目線は遠くをとらえていたように思う。
視界、視野、視線
たぶん「オーラ」とは言わずとも、多くのダンスの先生はことあるごとにこういう指導はしている。
でも目線がよければオーラがでるわけでもない。
これは必要条件であって十分条件ではない。
たどり着いた今の答え
最初の前振りの話と融合するのですが、結論、視線や視野といった中に「意識」「認識」という要素が加わることがとても大事なのでは?と今は思っています。
うまく言語化することができるかわかりませんが、自分の世界がどこまでの広がりを持っていると「認識」しているか。
例えば自分の肉体が踊っているスペースは、体育館くらいの広い会場だったとして、でも実際に動き回るのが直径5mくらいだとする。
ここでその5m以内のスペースのみにとらわれるか、自分の動くスペース以上の体育館という空間をすべて認識して動くのか。なんなら体育館を飛び越えて宇宙レベルでイメージするか。
そういう意識が大事なのではなかろうか、と。
なのでまたまた生徒さんは耳タコ話なんですが、目線を説明するときに
「5km先にいるマサイ族に踊りを見せるつもりで」
という意味不明な無理難題を言ったりしていますが、これがなかなかいい感じで狙った効果を出してくれているように思います。
「次元認識」
ここ数年、スピリチュアル界隈が存在感を増してきているので、スピ用語もだんだんおなじみになってきました。
そんな中でよく聞く言葉に「次元上昇」とか「次元認識」とか「ハイヤーセルフ」っていう言葉があるんですよね。
はじめは意味が分からなくて、わからないままそんなに気にもしていなかったんですよ。
ですが、だんだんとこの「次元認識」っていう言葉が、だんだんと現実世界で理解できる言葉に(私の中で)近づいてきている気がします。
私たちは3次元の世界に住んでいると言われます。
そして、スピリチュアル界では11次元まであるとか、はたまた12次元、13次元というのも聞くようになりました。
4次元までは何とかわかるとしてそれ以上は全然わからない。
なので次元上昇なんて言葉もさっぱり意味がわからない。
でも、最近ちょっとわかってきたんですよ。
5次元6次元は何を表すのか具体的なことはわからないけど、認識する世界の次元が低いと、考えることも行動も、レベルが低いんです。
卑近な例でいうと、こどものころに遊んだ公園が、子供のころは広いと思っていたのに、大人になっていろんなことを知ると、「あれ、こんなに小さい公園だったっけ」と感じることがあります。
なんとなくそれに近い話なのかなと最近思ったんです。
ハイヤーセルフとは、「高次元の自分」だそうです。
高次元と低次元に優劣はありませんが、進める範囲、認識できる範囲に違いがある。
だから高次元にいる自分は、一つ下の次元にいる自分よりも見えている部分が少なくとも1次元分多い。
だから上から俯瞰しているようなもので、今の次元にとどまってジタバタしている自分を、ハイヤーセルフは「何やっているんだろう、こっちにいけばいいのに」という風に見れるというわけです。
(・・と個人的に解釈してます)
オーラの話に戻ります
すみません、少し脱線したような話になってしまったのですが、やっぱりオーラを出すには、まず自分がオーラを出そうとするスペース、次元を認識する必要があるんだってことなんですよね。
だから「自分のいる世界」だけ、「踊るスペース」だけを認識してるだけでは足りないのです。
つまり今自分がダンスを踊っている場所は体育館ではなく地球であるとでも思えば地球規模にオーラが増幅します。
実際にはそこまで届かせねばならないという意識が働くことで、知らず知らず体の中心部からの動きが大きく放射状に伸び、大きな動きにもなっている。確かに肉体はそこにしかないのですが、自分の周りの幽体が認識につられて広がるのかもしれません。それがオーラがある、という状態になっていく。
芸能人やトップアスリートにオーラがあるのは、自分たちのフィールドが日本や世界に存在が知られているという認識がそうさせるのではないでしょうか。
ただ、たまに生で見ても「オーラないなあ」と感じる有名人もいました。
なんとなくですが、そういう方は活躍しているように見えても、自分のフィールドを少なく見積もっているのかもしれません。
まとめ
というわけでまとめです。
オーラは体の外に広がる世界で、空間をいかに認識するかで人に感じさせられるかどうかが決まるものだろうと思ってます。
広い世界を認識している人を、人は「オーラがある」と呼ぶのかも。
芸能人とかでなくても、「世のため人のため」に働いている人もそういう人はいますね。
視線はもしかしたら後付けなのかもしれません。
広い世界を想像したとき、「そこにある」と思えば自然と目はそこを見つめる。
見るから意識するのではなく、意識するから見るのかもしれない。
イメージするために遠くを見る。
今日は書いているうちにもどんどん話が広がってしまったのですが、割と私はいつもこんなことを考えていて、社交ダンスをスピリチュアル的に伝えていることはよくあります(;^ω^)
まあこんなおかしなところがありますが、何か共感できる人は私のダンス指導にチャレンジしてみてください(笑)
ではまた~
あとがき
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