< 「風の時代」に向けた「カルマの解消」のすすめ > (3/27罪悪感の解放と自分への謝罪・加筆)
(質問があったので、罪悪感の解放と自分への謝罪について加筆しました)
時代の大きな曲がり角を迎え、今年から激動の世になっていくと予想していますが、個人レベルでも大きな節目を迎えていると思われます。
ワクチンを打たなかったからといって、無条件に次の時代に行けるわけではないんだな…と最近よく思うようになりました。
それは「重荷を降ろして次に進む」という感じでしょうか…
何か心残りなこと、例えば「わだかまりが残っている」「まだ吹っ切れない」等の過去の呪縛。謝罪を送ったものの、まだどこかで「あれは仕方がなかった」「こっちも嫌な目にあった」等の言い訳をしてしまうこと。「あれは申し訳なかった」「もったいなかった」等の罪悪感。
これらは全て重しとなって人生の流れを澱ませているので、この時期にぜひ解消させて、波動を軽くすることで“スタートアップの幸運”を手にしたいと思うのです。
代表的な3つのエネルギーの法則の中に「因縁因果の法則」というものがあります。これは別名「カルマの法則」と呼ばれているものです。
「カルマ」とはサンスクリット語で「行為」という意味ですが、ここで使われる「カルマ」にはネガティブなニュアンスが込められています。
ネガティブに何かをしてしまったことが、人生にネガティブな形で戻ってきているという意味です。俗にいう「因果応報」です。
「因果」は平たく言えば「原因と結果」ですから、これは人生における「原因と結果の法則」と呼ぶこともできます。
ちなみにここでいう「カルマ」は「行い」だけでなく、「やったこと(行為)・言ったこと(言葉)・思ったこと(思い)」の全てが対象になります。
言葉にも影響力がありますし、思い・感情にも強力なエネルギーがあるからです。
これまでの人生で自分がこの宇宙に為したこと(原因)が、巡り巡って自分に戻ってきて今の自分の状態や状況(結果)を作っている。
この「因縁因果の法則」は宇宙の真理の一つと確信していますが、日本人なら割と信じている人が多いように思います。
実際に誰かのせいにしているうちは人生は変わっていきません。「全ては自分から始まり、自分に戻ってきた」だけだから「誰のせいにもできない」という潔い受け止め方は、話せば大抵の人がわかってくれます。
ただ、それを認めるのは大事だけれど、起こった出来事をただ甘んじて受け入れなければならないわけではなく、「カルマの解消法」もまた同時に存在するのです。
しかもその大半は意識を送るだけで完了できます。
< 振り返って → 反省し → 謝罪を送り → 自分と相手をゆるす >という、とてもシンプルな方法です。
講座が始まるとすぐにこの課題に出すのですが、今生思い返せる範囲でこの振り返りと謝罪を送ることで、その人のエネルギーはどんどん高まっていきます。これまで自分の足を引っ張っていたエネルギーがポジティブな形で戻ってくるからです。精油をいい状態で使いこなすために、そしてセラピストになっていくために、このプロセスは欠かせないものです。
意識エネルギーは時空を越えるので、過去に起こった出来事にも、すでに亡くなっている人にもこの「カルマの解消」のセッションは有効です。つまり今からでも「過去は変えられる」わけです。逆にいうと、エネルギーの法則を理解すれば、現在と過去を変えない限り「未来を変えるのは難しい」ことも分かってきます。
それほどこの「カルマの解消」は重要です。
「カルマの解消」という荷降ろしには、以下の2つのポイントがあります。
一つは過去を水に流して「恨み」や「わだかまり」といった「裁きの念」にしがみつかないことです。
エネルギー的に見ると「裁き」は自分から絡みついていくことですから、裁いている限りそこから抜け出せませんし、裁いている対象と同じ土俵に波動を落としてしまいます。
カルマのない人などいませんし、人は過ちを犯すものです。ときにはネガティブな感情も持ちます。良かれと思ってしたことが間違っていたり、謂れのない攻撃を受けることもあります。
生きている限り傷つかないことなどありえないし、誰かを傷つけることもあるかもしれない。それが生きるということです。
鍵は「全ては自分から始まり、自分に戻ってきただけ」というエネルギーの法則を理解することと、「宇宙は最初から許してくれているので、自分を赦すのは自分だけ」と理解することです。
「許す」は「許可する」ことですが、「赦す」は「水に流す」という意味です。
この場合の「ゆるす」は「赦す」ことであって、何も「許可」する必要はありません。相手のために「許す」必要はなく、誰のためでもない、自分のために「赦す」わけです。
例えば「広島、長崎に原爆を落としたアメリカのことは赦しますが、もう2度と許しません」でいいわけです。これは被曝した方を含めた多くの日本人の思いではないでしょうか。
もう一つが「罪悪感」という重荷を降ろすことです。
「自己否定」は「闇」です。「罪悪感」は「愛」から最も離れた感情の一つなので、これを手放す必要があります。
「許されていない」というのは思い込みです。そして「誰かに許してもらおう」と思わないことです。赦していないのは自分だけですし、自分で自分を赦すしかありません。
これは自分自身への「謝罪」でクリアすることができます。
「自分をゆるせなくてごめんなさい」です。
「自分の素晴らしさを受け入れられなくて、ごめんなさい」「自分の可能性を、自分の中の愛を認めてあげられなくて、ごめんなさい」です。
自己否定は「闇」です。「劣等感」「無力感」「罪悪感」は「自己無価値観の3悪」と呼べるもので、これを持つことによって、また持たせることによって、その人を容易に闇堕ちさせることができます。
昔から人は「因果応報」とか「バチが当たった」とか「天罰だ」とか言いますが、天は決して人を罰してはいません。
そもそも宇宙は最初から許してくれているのですから、「宇宙」は、もしくは宇宙を造った「創造主」は人を決して裁いたりしないはずです。
「原罪」や「性悪説」は魂の本質に反しています。
これは人心掌握を意図した「宗教」という名の「呪縛」です。これまでは「そう思い込まされてきた」わけです。
人類最大のカルマの一つである「宗教のカルマ」です。
まだ世界は闇深いですが、いよいよ「風の時代」に入り、そんな「支配の時代」も終わりを迎えるはずです。
ただし自我は「その過ちを認めたくない」「真っ直ぐに謝罪できない」ために、その代償として「罪悪感」を抱え込もうとします。
「わたしはそんな人間ではないのに、それをしてしまった自分を許せない」というわけです。
これは「自我(エゴ)」の罠というべきもので、この場合の「罪悪感」は「逃避」や「狡さ」です。
もし心のどこかに「申し訳なさ」「後ろめたさ」がある場合、もしかしたらそこに「言い訳」や「自己正当化」が残っているかもしれません。真っ直ぐに認めて、謝罪を送っていないからではないか…?と振り返る必要もあります。
「カルマの解消」のエネルギーワークを丁寧に説明すると以下のようになります。
・「これまでの人生、本当によくがんばりました! 」とご自分をいっぱい褒めてあげましょう。
↓
・思い当たる人や対象に、言い訳や自己正当化せず、真っ直ぐに「謝罪」を送ります。
素直に「未熟者でした、ごめんなさい」「ご迷惑をおかけしました、すみませんでした」と意識を送るだけでOKです。
思いに対しても同様で「怒りをぶつけてごめんなさい」「裁いてしまってごめんなさい」「長いことゆるせなくてすみません」というふうに送ります。
罪悪感の場合は「自分を赦せなくてごめんなさい」、劣等感や無力感の場合は「自分の素晴らしさを、自分の可能性を認めてあげれらなくてごめんなさい」となります。これはある意味「自分の魂への謝罪」と言えます。
これで相手や自分自身に刺さったネガティブなエネルギーの矢は抜けたことになります。
↓
・言い訳なしの真っ直ぐな「謝罪」は、その後すぐに「ありがとうございます」と出て来ます。
少なくとも自分が思ったネガティブな感情や、自分がしてしまったことは謝罪できるはずです。これを掛け値なしの「謝罪」でクリアするわけです。
カルマが解消したかどうかは「感謝」がバロメーターになります。
この「ありがとう」はつまり「それも愛だったと気づかせてくれてありがとう」「成長させてくれてありがとう」という意味になります。
↓
・「1・2・3」のエネルギーを対象となる人、モノ、事象に送ります。
エネルギーを奪ってしまった可能性があるから補充するのです。
こうして矢を抜いた後の「傷」を遠隔でヒーリングして差し上げましょう。
意識エネルギーの送り方を学んでいない方は以下のような思いで相手に意識を送ってみてください。
※「1の氣」は身体や物質に送るエネルギーで「元気になりますように」と思ってください。
※「2の氣」は心を癒すタイプのエネルギーで「幸せになりますように」と思ってください。
※「3の氣」は魂に送るタイプのエネルギーで「魂が光を取り戻しますように」と思ってください。
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・「わたしはわたしを赦します」と自分の魂に語りかけるように自己宣言します。
その後、自分のもとから送り出すイメージで「わたしはあなたを赦し、手放します」と宣言します。自分への謝罪の場合は「わたしは過去の自分を赦し、手放します」となります。
この言葉が“魂に響いてくる”のを感じてみてください。
↓
・これで「カルマの解消」のセッションは完了です。
「ありがとうございました」と関係者全てに送りましょう。
↓
・最後にダメ押しで「この件はこれで完了しました。ありがとうございます」と完了の宣言を唱えます。
後になって「まだ謝罪が足りなかった、まだ気づきが足りなかった」と思ったら、その未完了の部分だけを「謝罪」でクリアしてください。
「魂からの真っ直ぐな謝罪」は一回だけで充分です。何度もする必要はありません。
自分の過ちを「素直」に認めて、ただ「真っ直ぐに」謝罪の意識を送ることで、心身ともにスッキリするのがわかるはずです。ぜひトライしてみてください。
ひとつの「大きなカルマ」をこのセッションでクリアすると、その重石によって詰まっていた「怒り」や「裁き」が続けてポロポロと出てくることがあります。それもどんどん「謝罪」して「赦して」「手放して」いってください。
このカルマの解消のセッションの素晴らしいところは、カルマ的なエネルギーの呪縛を「祓い清める」だけではなく、魂の成長を促すことです。
カルマを「謝罪」で祓うごとに、魂はそこから「それも愛だった」と学んでいくからなのだと思います。
スピリチュアルな世界には、「謝罪」という言葉にネガティブで後ろ向きなニュアンスを感じて、忌避する人たちもいます。
気持ちはわかりますが、他に端的な言い方がないから使っているだけで、そこに「罪」とか「罰」の意味合いはありません。
「謝る」という字は「謝意」という言葉で使われたとき「感謝を表する」という意味になります。つまり「謝罪」とは「罪に感謝する」と捉えることもできるわけです。
「謝罪」と「感謝」は実は深いところで繋がっていて、どんなに辛い出来事であってもそこから成長できるように、究極的には「それも愛だったと気付けなくて、ごめんなさい」という場所にたどり着けるはずです。
「こんなに簡単な方法でカルマは解消できるの?」と聞かれることがありますが、どうやら宇宙は「気づいて学びに変えれば、それでOK」と言ってくれているようです。「傷つけたからといって、傷つく必要はない。ただ気付けばいい」と言ってくれている。
これが「カルマの法則」が存在する意味です。
なんて「ありがたい」ことでしょうか。
宇宙には「光に戻ろう」という意志があるように見えます。それは宇宙を造った根源である「おおもと」に戻りたいという帰巣本能のようなものかもしれません。
その宇宙の指向性に沿ってわたしたちも存在しています。わたしたちの魂にも「もといた」光に戻りたいという根源的な欲求があるように感じます。
「カルマの法則」はそのための軌道修正のエネルギーであって、「そっちに行くと苦しくなるよ」「そっちに行くと光から外れるよ」と教えてくれているのです。
こんな言い方をすると抵抗を感じる人もいるかもしれませんが、今まさに理不尽な攻撃をされている相手であっても、「もしかしたら過去世で逆の立場だったのかもしれない。もしかしたらあのときも赦せなくて恨みを残してしまったから、今生も同じ課題が来ているかもしれない」と切り替えて「何があったか分かりませんが、とにかくごめんなさい」と送ってしまった方が、手っ取り早くその関係性を解消できると言えます。
この「気づき」と「謝罪」と「赦し」によるカルマの解消の仕組みを使わない手はないと思うのですが…
大人が幼い子供を諭すときに「ちゃんと謝ろうね」と言います。
粗相をしても、悪さをしても、言いつけを守れなくても、誰かをいじめても、それを認めて素直に「ごめんなさい」と謝れば、大人はその子を赦そうとします。
きっと「宇宙も同じ」なんだろうと思います。
でも大人になるとこのシンプルな真理を忘れてしまうのかもしれません。
「全ては愛の中で起こり、それは自分への気づきのメッセージである」
こうして宇宙はちゃんと「愛で運営されてる」と言えるわけです。
そんな思いも込めつつ、セッションの最後は「ありがとうございます」で締めくくってください。
ちなみにこの「カルマの法則」を避ける方法もあります。
以前noteのブログに書いたことがありますが、闇の勢力は長年にわたってこの方法で「カルマの精算」から逃れてきたと思われます。
宇宙の流れに完全に背を向け、「わたしは光に戻りません」と闇堕ちを宣言することです。おそらくそのために悪魔的な儀式を行なっているのでしょう。
詳しくはnoteの投稿に譲りますが、魂には「自由意志の尊厳」があるので、それもまた許されているわけです。
とはいえ、いつかは必ず精算の流れが来るのも道理です。
わたしたちを覚醒させない、光に向かわせないために、地球全体を巻き込んで闇堕ちさせるという彼らの思惑は、おそらくあと一歩のところで失敗するでしょう。
彼らのなりふり構わぬ必死さからも、そんな未来を窺い知ることができます。
ワクチンやコオロギ食や生体チップはそのための人類への冒涜ですから、まずは近寄らない、権力を盾に脅されても、恐怖を煽られても与しないことです。
放っておいても自滅するでしょうから、わたしたちはわたしたちで、カルマの重荷を降ろし、さまざまな思い込みを手放し、「風の時代」にふさわしく、軽やかに次の世界に進むことにいたしましょう。
追伸;
前文明期から文化・文明を繋いできた日本人は、この宇宙は「善」で出来ていて、そして私たち人間の本姓も「善」なのだと知っていました。
この「ダブルの性善説」が日本人の信仰の核心にあります。3万年もの歴史のなかで「宇宙の真理」を見抜いて、この「宇宙の流れに沿った生き方」を実践してきたわけです。
それをかつての日本人は「惟神の道(かんながらのみち)」と呼んでいました。
こんなお話をする単発講座があと一回、4月1日(土)に予定されています。
ご興味ある方はこの機会にぜひいらしてください。