ぼくのマンガ人生 (岩波新書)手塚 治虫
この本は、みなさんご存知のマンガ家「手塚治虫」が、幼少期にマンガと出会い、マンガに助けられ、そしてマンガを描き続けてきた自身の人生について、改めて振り返りながら、自分がどのようにして「マンガ」、ひいてはマンガを通じて「人」と、向き合ってきたかを書き記した一冊です。
「好きだから」で選べるか
一番おもしろかったのは、P72 「生命の尊厳」がぼくのテーマ より
ぼくは医者になれたらいいなとも考えていましたし、マンガも描きたいと思っていました。そしていよいよ進路を決めなければならなくなったとき、母に
「東京にいって、マンガを描きたい。でも、宝塚に残って、医者にもなりたい」
と言いました。
母は「ほんとうに好きなのはどちら?」と聞きます。
「ほんとうはマンガが好き」
と答えると、
「あんたがそんなに好きなのなら、東京へ行ってマンガ家になりなさい」
と言います。
母はいいことを言ってくれたと思います。ぼくは医者のほうは、ほんとうはあまり好きではなかったのです。お金がもうかりそうだからとか、世間的な受けがいいからとかの理由がぼくの選択理由に入っていたのです。好きなほうを選ばせてくれたおかげで、ぼくの一生はとても充実したものになったのです。
当時、学生だった手塚治虫氏は、医者になる勉強をしていました。
ただ「医者になってやる!」という強い情熱があったわけでないのです。元々は、戦時下に軍医になることで、最前線で戦わず後方に居られるとか、ご先祖様が江戸で医者をやっていたからとか、そんな理由で「医者にでもなろうかなあ」という程度の想いなのでした。
一方、マンガについては、強い情熱を燃やしています。
大学に行っても、講義中は一番後ろの席に座って、こっそりとマンガを描き続け、病院に勤め始めてからも、毎晩毎晩、宿直室でマンガを描き続けたそうです。しかも、徹夜で原稿を描いても手が足りないというので、看護婦を部屋に引きずり込んで、手伝わせていたそうな。
あまりにも毎晩毎晩手伝わせるので、看護婦も疲れてしまったそうで、とうとう教授に呼び出されて「おまえ頼むから医者にならないでくれ」とまで言われたそうですよ。
それだけマンガに強い情熱を持っている手塚治虫氏をしても、この先「医者になるか、マンガ家になるか」というのは、悩む決断だったのです。
いわんや、じぶんらだって同じです。
ちょっとここで、自分語り
かつて、じぶんは高校生の時分ギターを弾いていて、一日の時間割では、受験勉強よりも遥かに長い時間をギター弾くのに割いていました。
でも「大学に行くか。それとも音楽学校に行くか」といったような決断を前にしたときには、親の言うことに従い「大学に行く」を選んだのでした。
「音楽で食っていける人間なんて一握りだぞ、そんな不安定なこと目指さずに、まずはちゃんと大学へ行け」
そのとき親がじぶんに言った言葉は、そんな感じのものでした。
「『安心・安全のみんなが進む道を薦めたい』、親心とはそういうものなのだ。大切にされていることを感謝なさい」
そんな風に言われてしまいそうですが、自分自身の考えとしては未だに「呪い」の文句にしか思えません。
とはいえ、恨んだってしかたなく、結局そのときは最終的に"じぶん"で、大学へ進むという道を選んだと言わざるを得ません。忘れはせんのですが。
ふたたび、内省へ
どんな方が、このnote読んでいただいてくださるのかはわかりません。おそらくは、「手塚治虫」の名前に食いついた方だったり、単純にじぶんの知り合いだったり、色々かと思います。
共通に言えることがあるのだとしたら、「ぼくの/わたしの〇〇人生」にあたるタイトルを付けるとしたら、どんな「〇〇」が思い浮かびますか? またその「〇〇」に対する、これまでのじぶんの辿ってきた道筋、してきたこと、そしてその「〇〇」を始めるに至った決断の瞬間を悔いていることがないか、本当に好きな・楽しい、ずっと続けたいと思っていることを選んだのかどうか。
15分くらいでも立ち止まって、紙とペン、あるいはメモアプリでも手元に拡げ、書きなぐってみるとよいんじゃないかな。と思いました。
そして、「好きな方」を選ばせてくれる人が、身の回りにいることを願って、話してみるとかすると、楽しいんじゃないかなあ。と思いました。
終わりに
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