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【小説】桐野夏生『グロテスク』 女を生きる、ということ。
20年以上を経て、再読。
ふとテレビをつけると桐野夏生先生の著作が紹介されていて、久しぶりにどうしても『グロテスク』を読みたくなった。
『OUT』『柔らかな頬』など受賞作・代表作は数あれど、やはり桐野夏生を桐野夏生たらしめた作品として『グロテスク』を挙げる読者は多いと思う。
当時の私は中学生、ハードカバーで発売された本作は母が買ってきたものだった。
中学生のお小遣いでは本は沢山買えない(今も買えない)ので、父母が買ってくる新しい本は片っ端から借りる。
厚みはあればあるほどいい。
そのぶん長く、本の世界に居られるから。
しかし中学生の娘に貸す本かね…。
本作は実際に起こった『東電OL殺人事件』をモチーフとしており、扱われるテーマは売春・いじめ・拒食症・密入国・殺人…とダークかつディープである。
おぞましいことばかりが起きるし、読み切ったあとの後味も悪い。
ベストセラーだが問題作でもあり、このnoteを読んでくださる皆さまにも声高にすすめたくはない。
しかし、感動や喜びを与えるばかりが読書か。
ひとの心をどこまで抉れるのか、ということもまた読書なのだ。
あらすじ
名門Q女子高に渦巻く女子高生たちの悪意と欺瞞。
「ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ」。
悪魔的な美貌を持つニンフォマニアのユリコ、競争心をむき出しにし、孤立する途中入学組の和恵。ユリコの姉である“わたし”は二人を激しく憎み、陥れようとする。
圧倒的な筆致で現代女性の生を描ききった、桐野文学の金字塔。
物語は主人公である「わたし」の独白や、その妹である美貌の娼婦ユリコの手記、昼は一流企業に勤め夜は街娼をする和恵の日記、ユリコと和恵を殺したとされる中国人・チャンの上申書など…極めて主観的な視点で描かれる。
レビューで「只々、どうしようもない人たちの物語」というワードを見かけた。
否定はしないが、真にそうならここまで本作は多くの人を惹きつけなかった。登場する「どうしようもない」人物たちをみて、読者は自分のなかにも確実に存在するどろどろと渦巻くものの正体を突き付けられる。
私はあの子より可愛くないけど、あたまがいい。
頭はよくないけど、家がお金持ち。
貧乏でも顔がきれいで、センスがいい。
田舎者だけど立派な会社に勤めてる。
競争に巻き込まれなくたって、愛してくれる恋人がいる。
自分の持ち物を総ざらいして、誰かと比べ、
勝てるものを必死で探す、終わりなき饗宴。
意識の有無にかかわらず誰もが人生で体験したことのある感覚を精緻に描かれ、読者は問わずにいられない。
境界を越えなかった自分と、
一線を越えた登場人物たち。
彼我の差は那辺にありや、と。
VS ヨーガ
本作に描かれる人の、とみに女性の醜さは、ヨガにおいては無価値な執着で愚かなものとされる。
それを私たちはヨガの呼吸やポーズ、瞑想、感覚統制をもって削ぎ落していくことにチャレンジする。
裏返せば、ヨガの興った数千年前から人はどうしようもなく無価値な執着にとらわれ続けているということでもあるのだ。
生まれたときから誰かと比べ、また比べられる。
どうにかサバイブして、自分だけの居場所をつくる。そうしてふと自分の中にぽっかりと空いた暗い穴を覗き込むうちに、自身も他者をも飲み込んでしまうおそろしさ。
美しさと醜さ、賢さと愚かさ、愛おしくて見苦しい。
女性同士の陰口をきいただけで「女はこわいね~」と言って片づけられるような人には、きっと一生わからない。
かしこくて美しかった、あの子へ。
中学生の私は『グロテスク』を読み終え、母の了承を経て本作を友人に貸し出した。彼女が読みたいと言ったから。
そこそこ厚みのある本だが、彼女は一晩で読み終え、翌日に返してくれた。
私は読了に何日もかかったというのに。
ガリ勉などでは全然ないのに、見ればわかる・読めば覚える、ということを体現してみせる。
こともなげに。
可愛らしく、特別で、それでいて悪目立ちしないあの子。
私はきっとうっすらと、
今も昔も、彼女に嫉妬している。
ほかのすべての女性に対して、少なからずそうであるように。
しかしきっと、
彼女も誰かに対してそう思うことはあるのだ。
それが女を生きる、ということだから。
【作品紹介】
『グロテスク』桐野夏生著(文藝春秋)