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脱 · 経験則依存
あーすればこーなる。 こーすれば、どーなる?
年齢を重ねるにつれて、賢くなるということもないが、経験は少しずつ増えていく。
経験というのは、仕事のスキルや旅行などの外形的なことばかりでなく、人付き合いや体調の変化など、パーソナルで些細なことも含めて。
日々を懸命に生きていると、できれば失敗続きは避けたいから否応なしに「経験則」というものが出来てくる。
強い言葉でいうと「勝ちパターン」とか。
・会議の初めにこのネタを入れると、アイスブレイクになる。
・生理前の頭痛には、あの薬が効く。
・●●さんが怒っているときは、何も言い返さないが吉。
・躊躇う取引先には、このタイミングで踏み込む。
・ストレスがたまったら、旅に出る。(ヨガに行く?)
文字にしてみると小賢しいだろうか。
しかし誰もが自分の人生を最低でも七転び八起きくらいの勝率にしたいと思っているし、喜んでコケる人は少ない。
経験則に救われることは、たくさんある。
ジンクス、お守り、マイルール、
生きていくための拠り所が必要だ。
経験則の落とし穴
周囲を眺めていても「勝ちパターン」を確立している人の話は安心感があるし、つい相談したくなってしまう。
書店に行けば、誰かの「勝ちパターン」を連ねた本で溢れている。
誰からも好かれる人になるには、ストレスを緩和するには、お金を増やすには、上手に話す人になるには…etc。
ただ年齢や環境の変化を経て思うのは、経験則は悪く言えば「決めつけ」で、状況の変化をカウントせず後生大事に固執すれば、自身の世界をどんどん狭くしてしまう、ということだ。
お馴染みのリフレッシュ方法に癒されないときや、怒鳴る若しくはへりくだるばかりでは他人をコントロールできないとき、同じことの繰り返しではご飯を食べられなくなるときが、いつか来る。
「勝ちパターン」で勝てなくなったとき、
私たちは選択を迫られる。
かつての「勝ちパターン」を擦り続けるのか、
新たなパターンを探す旅に出るのか。
「変化を愛そう」とは、まだ言えないが。
つらつらと書いたが、私自身は決して変化に強くない。
スマートフォンの機種変更ですらまごつくし、祖母と並んで歩くことはもうないのかと考えるだけで寂しく、似たような服や化粧品ばかり使い続けていて、ちょっとした仕事の仕様変更にも渋い顔をしてしまう。
しかし今年に入ってからというもの、マインドセット・体調・人間関係・努力の方向…種々のものものが「通用しなくなっている」ことを折に触れて感じる。
ああ、もうここ数年の推進力では進めないターンに入っているのだ、と思う。
目に見えている光景は変わらずとも、自分も周りも変化している。
思っているよりもずっと速く、大きく、深く。
一生、メタモルフォーゼ。
新しいパターンを探すときは、いつも心がひやひやとする。
痛い思い、恥ずかしい思いをすることがグッと増える。しかも苦しい思いをしたとて、何か持ち帰れるとは限らない。
私に壊滅的に不足している「忍耐」というものも必要だ。
ずっと新たな「経験則」を探す旅の繰り返しで、使えなくなったら、また新しいものを試してみる。
痛かったら泣けばいいし、
恥ずかしければ顔を赤らめ、
疲れたら休む。
恐ければ逃げてもいいし、
悔しかったら地団駄を踏み、
元気になったらまた歩きだす。
そんなふうにして、やっていこう。
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