ラプソディ イン 年末年始
おそろしいまでの特別感。
ひとまず年末年始お疲れ様でした、と自分にも皆さまにも言いたい。
急にイルミネーションやクリスマスツリーの飾りつけが始まって街がキラキラになったり、シュトーレンやチキンやケーキがおもむろに売り出されたりする狂気の12月を駆け抜け、月末月初のわずか数日の間に仕事納め、大掃除、酒、年越しそば、カウントダウン、お雑煮、酒、お年玉、おせち、初詣、厄払い、初売り…etc
年末年始イベント詰め込みすぎ問題である。
ヨガスタジオや公共施設にもまとまったお休みの期間があり、私が経験した範囲では年末年始に加えてゴールデンウィークとお盆に数日間〜1週間ほどレッスンがお休みになる。しかしその他のホリデーウィークと比べても、年末年始は圧倒的にイベントが多い。
もちろん年末年始に働いている方も、休みがあっても1-2日という方も多くいる。そばや餅を食べる義務は課されていないし、散らかった部屋で新年を迎えるのも罪ではない。
それでも多くの人をミッションコンプリートに駆り立てるようなパワーというか、圧のようなものが年末年始にはあるのだ。
2024年占いからの脅迫
12月某日、美容室で髪を切ってもらっている間、渡されたタブレットで雑誌をザッピングしていた。
(コロナ禍を経て、紙媒体の雑誌を置く場所はグッと減り、サブスクリプションで最新の雑誌を読めるようにしているところが増えたように思う。)
さて雑誌を開くと、私の前にそのタブレットを利用した人が読んでいたページが表示される。
あなや…。BAILA、CLASSY.、an・an、クロワッサン…どの雑誌を開いても2024年上半期の占い特集があらわれるのだ。
みんな占い好きすぎませんか問題でもあり、来たるべき新年を出来るだけ幸福で豊かなものにしなければならないという脅迫観念に駆られているお嬢様方の群れが目に浮かぶようでもある。
(かくいう私も半期に一度のしいたけ占いを楽しみにしていて、私の担当美容師さんもプチ占い狂なのだが。)
占い師の先生方には、ぜひとも優しい言葉で迷える子羊ちゃんたちへの占いを語っていただきたいし、『新年に新調するとよいもの』としてカーテン、食器、布団、タオル、財布、冷蔵庫、バッグ、アクセサリー、化粧品…と運勢を良くする前に破産してしまうような乱暴なおすすめはやめていただきたい。
余談
ちなみに、ここしばらく私の年末年始は、仕事納めと香川県の自宅の大掃除(何かをまとめてやるのが嫌いなため、10箇所以上に分けて行う。)を終えた後、福岡県の実家へ行くやいなや、大学の陸上部のジャージ上下(形容しがたいぐらいダサい)に身を包み、実家の大掃除を手伝う(風呂、トイレ、ベランダ等、なんかキツいところの担当)、というところまでで大抵疲弊している。
前期高齢者の仲間入りを果たして尚ガシガシ働く父は、休みに入ると毎年取り憑かれたようにケルヒャー(高圧洗浄機)を用いて玄関や家の外壁を攻撃しており、彼も同じくこのあたりで疲弊している。
日常に戻っていくことの幸福
タイトルは忘れたが、ずっと昔に読んだ江國香織さんのエッセイに「年が明けて日常に戻っていくとほっとする」といった旨の内容があり、今になって強く同意する。
中高生の頃、江國香織さんの小説をよく読んでいたが、なんというのか今は気恥ずかしくて読めなくなってしまった。自分の人生がそんなに細部まで美しくいられないことを知ってしまったからだろうか。『間宮兄弟』や『思いわずらうことなく愉しく生きよ』は何度も読み返すほど好きな世界観だった。
年が明け、香川県の自宅に戻りレッスンや仕事が始まり「あぁ、そうだった。私はこうして毎日を過ごしていたんだった。」という感覚が戻ってくると、心底ほっとする。
疲れるのなら帰省も大掃除も初詣もやめておけばいいのに、というのは正論だが、そうはならない。
「疲れたー」とか「つまらない」とかぼやきつつ、私達はとことん『特別』と『ルーティン』を愛する生き物なのだ。
2024年になりましたね。
今年もどうぞよろしくお願いします。