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隣の芝は、町中華。

しれっと、アルコール解禁。

5月のGW以降3ヵ月超の禁酒をしていたのだが、お盆に帰省した際にしれっと解禁してアルコール摂取を再開した。
「どうしても酒が飲みたい!」ということでも無かったのだが、福岡の実家は父を筆頭に息をするように酒を飲む家族なので、付き合わないのも野暮かなぁという感じである。(家族での食事は、全員スタート前にヘパリーゼかウコンを飲むのが習慣。どんだけ飲む気なんだ、この人たち。)

中学校の同窓会では「授乳中だから」「車で来てるから」「明日も仕事だから」と至極まっとうな理由でノンアルコールを選択する人も多かったのだが、ギリギリまで迷いつつビールを選択。
「ビールの人~?」と聞かれると挙手してしまう病気なのかもしれない。

流されるべきときに流されず、流されるべきでないときに流されているから、私の人生こんなことになっているのか…と反省することしきり。


ビール、ワイン、ハイボール。

一定期間飲まずにいると、確かに弱くなっている。
実家でも同窓会でも結婚式でも、飲んだそばから身体にまわっていく感じがするので、水やウーロン茶を挟んでみる。
微調整が出来るようになったのは、成長の証か。
体質的なものを除けば、耐性ができていくという点でお酒は飲むほどに強くなっていく。(良いことなのか、は別として。)

母は若かりし頃、ほんの少量のアルコールで顔を赤くして「もう飲めない~」という可愛らしい人であったと記憶しているが、兄と私が家を出て夫婦で過ごす時間が増えるにつれて酒に強くなり、いまや女傑の風格すら漂う。(良いことなのか、は別として。)

「お酒に強くなりたい」とは思っていないが、「酔うのが上手な人になりたい」とはいつも思う。


目指せ・上手に酔える人

私自身お酒は好きなのだが、「上手く酔えるとき」と「そうでないとき」があるのが悩ましい。
「上手く酔えるとき」は、ほんのりぼーっとし始めて、それでも適度に思考力があり、不安や迷いがなくなって、自分も含めた大切な人たちへ思いを巡らせることができる。
「そうでないとき」は、なかなか上記の状態に達することができず徒に杯を重ねて、それでも上手くいかないので、だんだん気持ちが塞いでくる。

自分の体調、メンタル、お酒と食べ物のマッチング、一緒にいる人…etc。
理想の酩酊を求めてさまざまなファクターの分析を試みるも、いまだに私は前者と後者に至るシステムを解明できていない。


隣の芝よ、いつまでも青く。

「理想の酩酊」と関係するのかわからないが、最近ヨガクラスの生徒さんや友人から聞いた酒飲み話がうらやましくて、ずっと頭から離れない。

共通しているのは「職場の人と」という点で、それは仕事終わりの町中華だったり、帰り道に遭遇した盆踊りイベントだったり、職場のBBQだったりした。
町中華はきたなくて美味い店で、盆踊りにはキッチンカーが集結していて、職場のBBQではお子さんたちが海に入っていたらしい。
職場の人とだと、100%気兼ねなく、とはいかないだろう。
きっと町中華の床は油で滑り、屋外で買ったビールはどんどん温くなり、BBQはうんと体力を消耗したことだろう。

ああ、でもやっぱり、羨ましくて仕方ない。

会社員や公務員をしていたとき、飲み会にはよく参加したが、席順・配膳・ポジショントーク…煩わしく思うことも多々あったというのに。

フリーランスになった現在は、なかなかそんな機会はないもので。
さらに暑いのも人混みも苦手だから、あえて屋外で飲む、ということも選択しない。
ヨガレッスンを終えて「一杯行きますか」とはならないし、流石にそんなインストラクターは嫌だ。

今日も私は、
「煩わしい一杯」に思いを馳せる。



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