地方のテレビに新しいローカルタレントが現れない理由とその対策
2010年代の地方メディアについて
主な特徴
ばかげたチャンネルがまた旅を始めようとしています。そんな筆者は31歳になるわけですが、地元のラジオやテレビや乳首のつまみをつねっても全くもって感じることがないわけです。開発が足りてないわけですね。
摩天楼ぶられても視聴者は困るわけでして、一端にも内部や周辺と共に仕事してきた身として、それには特徴があると感じるわけです。左乳首が。
端的に取り出すと「地域との繋がり」を重視する傾向に大きく変わってきました。片田舎の秋田くんだりに住んでいますが、少なくとも東北各地で仕事しているのでおしなべてその傾向があります。
原因とその根幹にあるもの
2011年の災害がやはり転機になっています。これはもちろん批判要素は全くありません。フラットになった地域活動に新たな人材や可能性が流入し、大きな潮流となって復興を推し進めてきました。
しかしそれは、太平洋側の話なのです。
オリンピック後の不景気が存在するように、内陸部で被害や影響が少なかった秋田や山形ではありました。
それでいて日本全体の動きとして東北の復興を図る流れとなり、"地域活動を推進する人物や団体が日の目を浴びやすい"システムが構築されていきます。
その中で日本海側には、どさくさに紛れてメディアや行政の潮流に悪乗りする団体がブラックバスの如く侵入してきた経緯があります。
2012~2016年頃
住み慣れた我が家が停電する間に、文化が盗まれていました。少し省きますが、3~4年をかけて「外部人材が地元の人間より絶対的に優れている」と考える人々が増えていったんです。
見たことのないクリエイターがレガシーを置き去りにし、翌年には捨てられる価値観やツールを提供してとんずらしていきました。
私はとても悲しかったんです。常識人が大衆の意見に追いやられて、笑ゥせぇるすまんがたくさんの夢を見せてくれたのに。若者移住はVRでした。
2020年代の地方メディアについて
未曾有のご時世
見たくない文字列の列挙により世間は暗がりを増していました。お笑い養成所に通おうとしていた筆者も9年ぶりにおうちに籠ることとなります。
歴史の狭間で、2017年頃から移住者に加えて起業家を殿上人として扱う風潮が地方にも流れてきます。これは悪いことではありませんが、一点に「都会での流行りから5年単位で遅れている扱い方」がなされます。
圧縮すると「全ての彼らが天才的才能がある」との評価となります。かえって彼らのハードルが上がる中で、1年に1人動くかどうかのカテゴリーが大きく取り上げられていきました。これはあくまで妄想に過ぎません。好物。
タレントの立ち位置
本題に入りましょう。筆者と名乗ってイキり散らかすキャラ散らかりが人口減少先進国でニッポンポンすることは金輪際あり得ません。
これには明確な理由があります。ここ10年で形成してきたシムシティのすべてを肯定し、体育会ノリにのめり込む必要があるからです。
私には到底無理ぽな出来事でした。いち演者としては狸寝入りすれば可能なことですが、いち地方民としては受け入れられない概念だったからです。
こんにちは、思想イカレです。勇気を出して、喋ってみましょう。
対策って何だよ(哲学)
幼心に見ていた夕方のヒーローたちは、気づけば凄惨な事件のニュースを伝えて、多少バラエティも兼務する便利屋アナウンサーの皆さんになっていました。真剣さはときに柔らかさを否定し、周囲から楽しむという感情を失くす効果のある制限カードです。
私は公の面前で何かを発信し、それで生活する人間に近づくことは苦手としていました。だから私がやるべきことを信じて、日々映像制作や諸般の事業に営みを持ちかけています。
変人を名乗る常識人は地方にはたくさんいます。ただそこは目指そうと思い立った大人ではないので、もう少しこの町を楽しませていただきます。目立つ点としてはyoutubeが真剣さを帯びてきました。一番上のリンク踏んでなかったですよね?その無関心が地元の楽しみを削っていますよ?
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