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「頑張らない」を選べるこの時代に【理想の頑張り方#3】
みなさん、こんにちは。
今回は「理想の頑張り方」2回目の記事になります。
前回は、「『頑張れ』は悪者なのか?」ということで、昨今使うことが控えられる風潮にある「頑張れ」という言葉をきっかけに、理想の頑張り方について考えてみました。
ひとつの結論として、頑張り方は使う時や場合、人によって意味が変わってくるのに、全てを同じように捉えることに、また、誰にでも当てはまると思って使うことに問題があるということになっておりました。今回はその続きとして、「頑張らない」とはどういうことか?を中心に、考えてみました!
以下、議事録です。
議事録
人は「頑張らなくてもいい」を獲得した!?
まず、人間は頑張らなくてはいけない生き物か、そうではないか、というところに焦点が当たりました。
人間に限らず、多くの動物にとっても、集団の関係を構築したり、生命を維持したりするためには、何もせず生きていくというのは難しく、どこかで頑張らなくてはいけない、という意見が出ました。
一方で、「実は人間だけが『頑張らなくてもいい』ことを実現できた生き物なのでは?」という指摘もされました。文明が発達し、狩りに行かなくてもご飯は向こうからウーバーされてきますし、あるいは社会の難しいことは考えなくても、他の人が考えてくれます。いいか悪いかは別にして、ほとんど「頑張る」、無理をしなくても生きていける世の中になったのです。
受け入れられている、理想の「頑張らない」方
昨今人気のある考え方として、「2ちゃんねる」開設者でコメンテーターとしても知られる西村ひろゆきさんやオリエンタルラジオ中田敦彦さんらが提唱する「頑張り方」が紹介され、それを理想と考えていると話されました。
「できないことは無理にはやらず、他人に任せる。自分はできること、やりたいことをする」というのがその考えかた。無理をして何でもかんでも自分でやらなくてもいい、というのはまさに時代を捉えた頑張り方ですよね。気も楽になります。
嫌なことから逃げていい?
その一方で、「自分のできること・できないことを判断することが難しい」という指摘も。とくに義務教育などの段階では、それは本当に難しい、ということで、本当に嫌なら逃げてもいいけれど、嫌なことにもまずは向き合ってみる、という姿勢自体はなくてはならないという意見でした。
その際に誰が「頑張る」べき内容を決めるのか、といったことも重要です。現在、「誰かに決められる」ということが非常に嫌がられる風潮があります。確かに、他人に決められ、その通りに動かなければならないことは苦痛です。しかし、全てのことにそれを当てはめればいいというわけでもないはずです。今回はテーマからずれるため深くは考えませんでしたが、一考する余地があります。
「頑張る」の対義語は「頑張らない」ではない!
ここからわかってきたことは、頑張ることと頑張らないことは対の関係にはないということです。下に図を作ってみましたが、従来「頑張る」「頑張らない」とは、対極にあるものとして捉えられてきました。
しかし、本来はおそらく、何もしない状態から、「頑張る」ことも「頑張らない」ことも、選ばれるものなのです。
会の中では、「プラスになることを選ぶことを『頑張る』、プラスになることを選ばないことを『頑張らない』と呼ぶ。何かをしないことでマイナスな結果が生まれるのなら、それは頑張る・頑張らないの軸では判断できない」ということも指摘されました。
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頑張るか頑張らないかが問題になるのはどんな時?
ここで、頑張ること、頑張らないことが選択制だとしたら、本当は誰がどう頑張ろうとも頑張らなくともどうでもいいはずです。では、何が人を「頑張る」「頑張らない」にかりたてているのでしょうか。
会で上がったのは「期待」「責任」という言葉でした。
「人に期待されると、それに応えなければ相手を裏切ることになってしまうため、『頑張る』必要性が出てきてしまう。ただ、社会は本当はそんなに期待に応えなくてはいけないことはない。期待に応えられればお金をもらえる、というだけの話だと思う」と、「期待」と「頑張る」の関係性が説明されました。
さらに、「期待」を裏返せば「責任」という言葉にもなります。家族を養うために「頑張ら」ないといけない、チームのリーダーとして「頑張ら」なくてはいけない、など、「責任」を果たすには、「頑張り」が求められる、という社会的通念があることも明らかになりました。
皆さんはどう思いますか。
まとめ:理想の頑張り方とは
「頑張る」「頑張れ」という言葉をきっかけに「理想の頑張り方」について考えてきました。まず、頑張るという行為、頑張らないという行為を改めて定義できたことが今回の大きな成果でしょう。
「頑張る」「頑張らない」は対義語ではなく、並列の言葉。どちらも、自分の取り組み方を選んだ結果です。それら選ばなければならない、「どちらをも選ばない=悪」、というわけでもなく、ここで大事なのは「頑張らない=悪」ではないということです。どちらもれっきとした選択肢である、という認識がとても大切です。
その考え方を広めるためには、組織や学校など、「頑張る」ことが強制される仕組みの評価制度などを変えていくことが有効ではないか、という話がされました。
そして、「頑張る」「頑張れ」という言葉に縛られなくてもいい、というのも大切な結論ではないでしょうか。
会でも出たように、これらの言葉は他人からの期待や他人への責任など、他人と結びつくところも多く、自分だけでは完結しない言葉です。しかも、その「頑張る」「頑張れ」は人よって捉え方が違うという問題も孕んでいます。とくに、「多様性」に焦点が当たる時代にあって、他人の物事への取り組み方に口出しできない、という風潮があるのも、それらを使いにくい原因でしょう。「頑張れ」という言葉を使う代わりに「ファイト」という言葉を使っているという参加者もいましたが、そんなふうに、一人一人が言葉の意味を考え直し、別の言葉で言い換えてみる、ということもできそうです。
編集後記
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は「理想の頑張り方」の2回目にして最終回、ということで、
かなり頑張った、、、力を入れた回でした。
何気なく使われる言葉に他の意味が含まれていたり、誤用が広まったり、ということはよくあることですが、「頑張れ」もかなり社会に翻弄されてしまっているようですね。それだけに人によって受ける印象や使い方も変わり、要注意ワードとなってしまっているのでしょう。
ひとりひとりの個が重要視される社会なだけに、そのひとの生き方もまたクローズアップされてしまう現在ですが、現代のクロースアップの仕方はあまり良いものではないなあと改めて思った会でした。
他人なんて、どうでもいいことも多いものです。
会の反省点としては、今回はかなり抽象度の高いお話が続いてしまい、なかなか具体策まで落とすことができませんでした。
もうすこし現実の事象に当てはめて話しても良かったなあと思うところではあります。とはいえ、「社会に揺れる言葉とその理想の使用を考えるシリーズ」(長い)第一弾とも言える本回をこうして終わらせることができたのは、とても大きかったと思います。
次回以降も、頑張って、つまりは私にできる限りさまざまに学び、トライ&エラーを繰り返していい結論に辿り着けるようにしたいと思います。(奈都)
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Studio Topia 1月テーマ「理想の頑張り方」
第2回「『頑張らない』を選べるこの時代に?」
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