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特別支援教材は、社会と”障がい”をつなぐツール。北野ちゆきさんに「特別支援教材ってなあに?」を聞いてみた

2024年1月からはじまった、Studio oowaによる特別支援教材を巡るあれこれ。特別支援学校教諭・北野ちゆき先生と共に、特別支援教材が生まれた背景や児童との出会いを綴ったエッセイ<せんせい、いっしょ。-特別支援学校のちょっと変わった先生の、ちょっと変わった教材の話->特別支援教材の展覧会<ひとり教材展@oowa>、そして7月からはじまった特別支援教材をつくる会。どれも毎回大変ご好評をいただいて嬉しい限りです。

今回は、特別支援教材を巡るエッセイのエピソード0として、北野先生とoowa代表の加藤のインタビュー記事をお送りします。
前編は「特別支援教材とは?」、後編は「特別支援教材をつくる会で目指すものとは?」です。
「なんでStudio oowaで特別支援教材のことやってるの?」「そもそも特別支援教材ってなに?」「教材ってつくるものなの?」と言った素朴な疑問を率直にぶつけてもらい、記事を作ることにしました。

インタビュー、ライティングは原田恵さん。特別支援教材の重要性、必要性がわかっている方には当たり前になってしまって、いちいち言葉にできていないことを、丁寧に拾っていただきました。「わからない状況で、そのまま来てください!」という無茶振りに、真摯に向き合っていただきました。写真はoowaプラモ部の部長、川島彩水さんです。

記事タイトルの通り、社会と”障がい”をつなぐツールとしての特別支援教材を、それらの教材を必要とする当事者やその支援者以外の方達にも広く知ってもらうきっかけになればと思っています。

                         Studio oowa 加藤



カラフルなリボン。
いくつもの筒の中に並んだテニスボール。
彩どりのブロック。
おもちゃのような、ちょっと違うような、そんなカードや箱、ボールなどの数々。

インスタグラムに流れてくる写真や映像を見た時、これがなんだかさっぱり分からなかった私。oowaの加藤甫さんに教えてもらい、初めて「特別支援教材」というものの存在を知りました。

主に知的障がいがある子どもたちの教材ということはわかったけれど、これがなぜ「教材」になるのだろう。
この教材は、子どもたちにどんな影響をもたらすのだろう?

教材といえば、教科書やドリルなど、正しい答えを追い求めていくためのものというイメージしかなかった私にとっては、頭の中にはてなマークばかり。
でも、大人と呼ばれる歳になった自分でも、この教材を見るとなんだかワクワクして、「触ってみたい」「試してみたい」という気持ちがむくむくと湧いてくるのです。

こんな気持ちを抱かせる「特別支援教材」って一体何なんだろう?そんな思いを持ちながら、この教材をつくった北野ちゆきさんに、oowaの加藤甫さんと一緒にインタビューさせてもらいました。

教材はオーダーメイド

障がいがある子どもたちの多くは、特別支援学校や特別支援学級に通います。それぞれ障がいの程度や特性もバラバラのため、全員が共通して使用できる教材がなかなかないのだそうです。

ネットなどで探すと、市販のものも数多く売られています。ただ、その教材がフィットする子もいれば、しない子もいます。
そのため、先生たちは子どもたちに合わせ、教材もオリジナルで作っているそう。

そもそも「共通する教材がない」ということ自体、私には衝撃でした。
「学校って、決められた教科書を読んで、問題集をやるような場所じゃないの?」と。
どうやら、障がいがある子どもたちにとっての「学習」や「勉強」というもの自体、私の価値観におけるイメージがピッタリ当てはまるものではないようです。

子どもたちにフィットする教材がないのであれば、一人ひとりに合わせたオーダーメイドの教材を作ろう!
そうして子どもたちと向き合う日々の中で数々の教材を作り、「ひとり教材展」なるものまで開催してしまったのが、北野ちゆきさんでした。

北野ちゆきさん。
現役の特別支援学級の先生として働きながら、オリジナルの特別支援教材を作る活動などを展開されています。

北野さんは、普段は特別支援学校の先生として勤務されています。そのかたわら、ご自身で作った教材や遊び方、子どもたちとの接し方などをインスタグラムなどを使って発信されています。


私がインスタで見た数々の教材が並ぶ光景は、年に一回、長期休みに合わせて教材を机に全て並べ、お手入れしたり新しい教材へのインスピレーションを得たりする「ひとり教材展」と北野さんが呼んでいるもの。誰もいないガランとした教室に、たくさんの教材が広がるさまは圧巻です。

北野さんがつくる特別支援教材は多種多様という言葉がピッタリ。

無数の穴が開いている木の棒。そこには強力なマグネットが仕込まれていて、木の棒を差し込むとカチッと音が鳴る。

紙をパタパタと広げると、次から次へと写真が現れる。

自分が「気持ちいい」と感じたり、「次は何が出てくるんだろう」と思ったり、頭で考えるだけでなく、体の感覚にも訴えかけられることが印象的です。

北野「学校に勤め始めた1年目から、他の先生がつくるものや本を見て、見様見真似で作り始めました。
感覚は、その子への”ノック”みたいな感じですね。「この子は「カチッ」とする音や感覚が好きだから、これを使って作ってみようかな」というように考えていくこともあります。」

障がいがある子と社会を繋ぐツール

では、この教材を用いて、どんなふうに「学習」や「学び」が行われていくのでしょうか。

北野「子どもたちの障がいの重さによって、一生のうちにできることの限度は、ある程度存在するとは思っています。ただそれは、頂上までの伸び代があるとも言える。そのステップを連続的に作ってあげることが大事なんです。

例えば、普通学級で学ぶ時も、ひらがなを教わってから漢字を習いますよね。そうやって段階的に難度をあげていくことで、理解できるようになる。
ただ、障がいがある子にとって、1段の段差はまるで壁のように大きい。だからとても細かく段差を作っていく必要があります。例えば、「引っ張る」という動作を使った教材の場合、チェーンを使ったら次は布で、と素材を変えて同じ動作を繰り返したりします。

イメージとしてはスロープですね。段差だと足が上がらないから。(笑)そうやって少しずつスロープを登っていくように、子どもたちが自分と外側にある世界を知って、自分から発信できることを増やしていくという感じですね。」

教材をお供にスロープを登りながら、少しずつ自身を知り、できることを増やしていく。それは時間がかかる道のりではあるけれど、その子にしかつくることも歩むこともできない、とてもクリエイティブな道のりだと感じます。

その一方でふと、子どもたちがそのスロープを登っていった先に、何が待っているのだろうという思いにかられました。
それはすなわち、「障がいがある子どもたちにとっての「学習」のゴールとは?」とも言い換えられるでしょう。

その問いを、北野さんに投げかけてみました。

北野「彼らにとっての「学習」とは何なのか。そのことについて、最近やっと自分の中で1つの答えが出たんです。それは「外の世界、すなわち社会と彼らを繋いでいく」ということです。

社会と繋がる手段は、子どもによって異なります。例えば、ある子にとってはひらがなや文字だったりする。でもただ物音がして、「そこに誰かがいる」と理解できたということ、つまり、他人やものに対して考えたり行動できるということも、「社会と接続する」ことだと思うんです。

障がいの程度に限らず、どんな子も社会と繋がることはできる。じゃあ、どうすればその子にとっての「社会との接続」が実現できるのか。それを学んでいくためのツールが、特別支援教材だと思っているんですね。」

私たちは普段、何らかの方法で社会と接しています。社会というと大きいけれど、例えば仕事をした、家族とご飯を食べた、友達と話したということだって「社会と繋がる」と言えるでしょう。

社会と接続する、つまり他者と関わり、反応していく。
特別支援教材を通じて、そういうことができるようになるということなのでしょうか。

北野「例えば、ボールを穴に入れることができる子がいます。そうしたら次は、「リング状のボールは右側の棒に通し、球状のボールは左側の穴に入れる」ということにチャレンジしてみます。それは、ただ「何かを入れる」という段階から、「区別する」という行為ができるようになるということなんですね。

「玉を入れる」ことができる状態の子は、自分の生理的な不快感で怒ったり、泣いたりという段階にいるようなもの。でも、「区別」ができるようになると、自分で何かを選ぶことができるようになります。そうしたら、ご飯のときも「こっちが食べたい」と選べるようになるんです。

与えられたものを食べて「これは苦い」と泣く。そのループにいる状態から、自分で「これは食べたいものだ」と判断して、自分が欲しいものを選んで食べられるようになる。

それって、その子にとっては大きく世界が変わることなんですよね。スロープを一歩進むことによって、彼らの世界はとても豊かになるんです。」

教材を通じて学習し、できることが増えれば、社会という自分以外の世界を知って、「どうしたいのか」という選択をし、その選択に基づいた行動を起こすことに繋がる。
それはすなわち、「生きる」ということそのものだと言えるのではないでしょうか。

あの楽しそうな教材を使い、学ぶ時間を積み重ねていくことによって、子どもたちは、「その子オーダーメイドの、社会とともに生きる術」を身につけることができるのです。

社会がその子と繋がることができる

oowaとしてだけでなく、障がいがある子どもの親としての立場でも、この教材に接してきた加藤さん。「この教材は、子どもたちだけにとってのツールではないと思う」と話します。

加藤「親としても、「なんで子どもたちがこれがわからないのか、その理由がわからない」っていうことがいっぱいあるんです。

例えば、うちの子は物を何個かずつ横に並べて、「どっちが多い?」って聞いてもわからない。ある時、北野先生に、「数の認知は、縦だとわかりやすそうですね」って言われて。それを聞いてぽかんとしてしまったんだけど、確かに縦にものを詰みあげる教材でやってみたら、明確に意思を持って多い方を選んだっていうことがあったんです。

そうやって、教材を通して見ると、子どもたちが何で困っているのかわかることがあるんですよね。

北野先生にoowaで特別支援教材についてのエピソードをエッセイにして連載をしてもらっているんですが、お願いしたいと思った理由もまさにそこで。僕たちが、彼らが「何がわからないのかわからない」ということを知る。ある教材がその子になぜ必要なのかがわかったら、周りも何に困っているか理解できる。つまり、僕たちがその子と繋がれたらいいなと思ったんですよね。」

studio oowa主宰の加藤甫さん。

その上で、「特別支援教材を介して子どもたちと理解し合うために、周りが心にとめておくべきこともある」と北野さんは話します。

北野「私たちの”理解のものさし”の単位も変える必要があると思います。すなわち、学びに対する価値観ですね。

例えば、「この子はいつ字が書けるようになりますか」と親御さんに聞かれることがあります。普通学級に通うお子さんとその子にとって、「字を書く」こととの距離は大きく異なります。例えば、普通学級のお子さんにとって「字を書く」ことが今の状態から1cmくらいの距離だとしたら、特別支援級にいる子にとっては、500kmくらい先だったりするんですよ。障がいの程度によっては、もしかしたらそのゴール設定自体が難しいこともある。

だから、教材を通じて子どもが何かができるようになった時、お母さんのものさしで見ると0.001mm先くらいのことかもしれないけれど、その子にとっては1m先に進んだということもある。

「社会と繋がる」ということは複合的なことなので、正直、学習の先のゴールはとてもわかりにくいこともあります。ただ、彼らが教材を通じてスロープを登り、その子にとっての1cm、1cmを積み重ねていくことによって、確実に外の世界と繋がっていく。
人生が豊かなものになっていくのだと思います。」

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「なんだか楽しそう」からスタートした特別支援教材への興味。

「これは一体何なんだろう?」という私の素朴な疑問から始まって、特別支援教材が、子どもたちと外の世界、社会を繋げるツールなのだということが見えてきました。

北野さんとoowaでは今、この特別支援教材をつくる会も一緒に行っています。後編では、つくる会にお邪魔して、おふたりがこれから実現したいと考えている未来や思いについても伺っていきます。

(文章:原田恵、写真:川島彩水、加藤甫)

北野ちゆきさんがoowaのnoteで連載するエッセイ「せんせい、いっしょ。 」はこちら
https://note.com/studio_oowa/m/m0303acacf494

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