流山のスパで見つけた、「天国」と「地獄」
暮らしの中に、地獄のような瞬間はあるだろうか?僕は、ある。それは「ちょい地獄」のようなものから「リアル地獄」まで様々だ。
僕達一人一人が、「誰しもある程度の地獄や地獄のような瞬間を秘めながら暮らしている」という前提と認識で社会生活を送れたとしたら、より寛容な世の中を創れるんじゃないだろうか。
ところで、今朝サウナに入っていて気づいた事がある。当たり前のようだが、16度の水風呂に入るとまぁまぁ冷たい。体が慣れていないとそれはまぁまぁ地獄のように感じる。
しかし水風呂にはさらに上があって、8度のものがある。これは、本当の地獄だ。下手に入ると指先の血管が痺れてくるほど。
しかし、どうだろう。サウナ→水風呂8度→水風呂16度というプロセスを経てみる。するとさっきまでまぁまぁの地獄だった16度の水風呂に入っていると、むしろ柔らかな温かさに包まれ、まるで「ちょい天国」にいるかのように感じるのだ。
よくよく考えてみると世の中のほとんどは、「ちょい地獄」と「リアル地獄」と「ちょい天国」で出来ているのではないかとさえ思えてくる。
もし今あなたが、「ちょい地獄」や「リアル地獄」に悩まされているとしたら思い出してみて欲しい。それらは「ちょい天国の前振り」かもしれないということを。「ちょい地獄」は将来の「ちょい天国」かもしれないし、「リアル地獄」は「ちょい天国へのオープニングアクト」なのかもしれない。この冷々交代浴のように。
退館して空を見上げると、真っ暗だった空が晴れ渡っていた。果たして僕の「リアル天国」はどこにあるのだ?そんな事を思いながら、仕事へ向かう。
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