Daisuke Yamazaki

柏市でスタジオナヴィーオを営む。 変化を望む全ての人をサポート、運動理論と哲学を易しく…

Daisuke Yamazaki

柏市でスタジオナヴィーオを営む。 変化を望む全ての人をサポート、運動理論と哲学を易しく伝導。幼き頃バスケ選手を志すも部活の在り方に反発し挫折。自我を探求し19で渡独、カポエイラに出逢う。後に修業の為渡伯。21で双極性障害を発症、認知行動療法で克服。'15年に独立。#ととのエッセイ

最近の記事

ととのエッセイ 「運河のほとりで」

東武線の運河駅を降りると、 利根川と江戸川を繋ぐ運河があって、 それに沿って約3kmの遊歩道が、 江戸川まで続いている。 昨日の朝はトレーニングをする代わりに、 その道を往復してみた。 まだ暗い朝5時に運河駅を出発し、 5時半に江戸川に着いた。 そうしたら、 ちょうどその頃日が出てきた。 運河と江戸川が交わるちょうどそのほとりに、 ちょっとしたスペースがあって、 古びた椅子が3脚置いてあった。 そこに腰掛けてしばらく眺めていると、 そこへ釣り人のおじさんがやってきた。

    • 銭湯でおじいさん二人がアワビについて熱弁していた話

      仕事が終わり銭湯へ行った。 身を清め、灼熱の個室へ入る。 サウナに入る時は、どっしりと正坐をし、 姿勢と呼吸を整えるのが、僕は好きだ。 今度は汗を綺麗に流し、極寒の水風呂へ入る。 身体を冷やし、熱を冷ます。 しっかりと水気を拭い、 外気浴で休む。 すると突然、 隣にいたおじいさんが二人、 何やら景気よく話し始めた。 「俺が若い時はよくアワビなんか採りにいったもんだよ」 「へぇ〜凄いねえ」 「今じゃもう採れねえけどな」 「潜ったらそのままあの世行きだべよ」 アワビ

      • 「運動が苦手」という概念の不適切さについて

        「運動が苦手」という概念は実は間違っています。 赤ちゃんの時は誰しも懸命に立ち上がろうとします。 子供の時は誰しも多かれ少なかれ駆け回り、飛び跳ね、遊ぼうとします。 それらは全て「運動」です。 赤ちゃんも子供もそれを「苦手」と認識することはありません。 時が経ち義務教育やクラブ活動の中、 体育指導や運動指導を受ける機会は増えます。 しかし残念ながら世の中には素晴らしい運動指導者もたくさんいる中、 そうでない運動指導者もそれ以上にいます。 不適切な運動指導を受け続けると、

        • ととのエッセイ 「フレンドリー」について

          春から娘が小学生となり、昨日初めて娘の登校に同行した。平日休みの良い所だ。たかが小学生の通学といえど、されど多くの人達や仕組みが働いてくれている。 横断歩道を渡ろうとした時、交通誘導のおじいさんは僕のことを物凄く疑り深く見ていた。僕は「ご苦労様です!」と大きな声で言った。おじいさんは「は〜い、気を付けてね!」と笑いながら言った。 その後しばらくし、我が家と同じようにお子さんの登校に同行しているお母さん達に会った。お母さん達は、僕のことを物凄く疑り深く見ていた。僕は「いつも

        ととのエッセイ 「運河のほとりで」

          ととのエッセイ 「ゾーンの入り方」

          23年間、「人のパフォーマンスはどういう時に上がるのか?」と考え続けてきた。とにかく筋肉をつければパフォーマンスが上がる。ひたすら自らを厳しく律する事でパフォーマンスが上がる。最初はそう信じていたけれど、どうやら部分的には合っていて、同時に部分的に大きく間違っているような気もする。そしてそれ以上にもっと必要な要素があるような気がずっとしていて、最近はそれが確信へと変わり始めている。 パフォーマンスを探求する上で最も効率的な行為がある。それは「パフォーマンスが高い人」のそばに

          ととのエッセイ 「ゾーンの入り方」

          ととのエッセイ 「月末は忙しい」を疑う

          今週末はお休みを頂き、成田にある「龍泉の湯」に行ってきました。僕はサウナでは必ず正坐をします。サウナでは、身体が温まり負担なく正坐ができます。気持ちよく正坐することにより、肩の力が抜け呼吸がしやすくなります。 「月末は忙しい」という人がいます。でも、「忙しいから」と忙しさを理由に色々な事を諦めたり、自分のパフォーマンスが上がらない事を甘んじて受け入れたり、思考停止に陥りたくありません。ハードワークをこなしながら毎日楽しそうに暮らしている人もいますし、大して忙しくも無いのに毎

          ととのエッセイ 「月末は忙しい」を疑う

          ととのエッセイ 「あざとさ」とは

          『ご飯を美味しそうに頬張りながら「おいひい!」という女性はあざといよね』と言う男は、異性というものへの理解が足りないと言わざるを得ない。 だがしかし、そんな僕も今までなぜ女性がご飯を美味しそうに頬張りながら「おいひい!」というのかずっと不思議だった。なぜなら男はご飯を頬張りながら「おいひい!」とは言わないからだ。 それが昨日娘と食事をしていて、娘が「おいひい!」と発したのを観察していてわかってしまったのだ。 答えは「美味ひい」からだ。それ以上でもそれ以下でもない。「美味

          ととのエッセイ 「あざとさ」とは

          「鬱は悪?」そんなのもう古いよね

          前向きなお話ですが、少し長いです。2週間前に鬱が再発してしまい、仕事以外はひたすら寝ておりました。日々多くのお心配りを頂き誠にありがとうございます。 症状もだいぶ良くなってきて、今朝は久しぶりにトレーニングへ行ってきました。写真は今朝のものです。 SNSで鬱を公言するのはいかがなものか。未だに賛否が分かれます。今後も分かれ続けると思います。でも全て自己責任で記しております。 まず、僕の現在の活動の根幹には、鬱の経験と、鬱を誘発したこの性格の影響が多大にあります。特に秀で

          「鬱は悪?」そんなのもう古いよね

          「見えない骨折」からの回復方法

          一週間程前から体調が優れず、数日前から鬱の症状が再発してしまった。最後に発症したのは2022年の冬だった。一方で、病気を患ってから19年、「もう一人の自分」との共生を強いられてきたけど、(今では自分を客観的に捉えさせてくれる良きパートナーだ)1年間発症を抑えられたのはむしろ快挙でありかなりの前進と言えるのだ。 僕の病は、神経伝達物質である「ドーパミン」の伝達異常により、感情や意欲の発起が著しく低下してしまったり、反対に病的に高ぶってしまう病である。問題なのは患者にとって致命

          「見えない骨折」からの回復方法

          数値で測れない健康

          一昨日のトレーニング中に太腿の肉離れを起こしてしまい、昨日今日と久しぶりにトレーニングをしない朝を過ごしている。 昔はトレーニングをしない自分に「焦り」を感じてしまい、精神は不衛生だったなあと感じる。しかし最近はトレーニングを休めてラッキーだなあと感じるようになってきた。不思議なものだ。 僕は身体が極限まで疲れたら必ずサウナへ行き、ちょっとした健康診断をする。 それは何かと言うと、「潜水」だ。 いわゆる「ととのう」ためには、 サウナ→水風呂→外気浴 が良しとされている

          数値で測れない健康

          運動が永く続く秘訣。

          今朝も雨が降っていた。 僕は台風以外は毎朝外でトレーニングする。 よく「毎朝続けられて凄いよね」と言われる。 しかし朝だから続くのだ。 なぜならここだけの話だが、 昼は眠くなっちゃうし、 夜はめんどくさくなっちゃうからだ。 だから昼と夜は絶対に、 自分のトレーニングをしたくないのだ。 結果的に、 消去法により「朝」やるしか無いということになる。 そうすると不思議と、 必要性の高まりを感じ、 使命感が増す。 だから一切のストレスも感じず、 ひたすら

          運動が永く続く秘訣。

          「運動のモチベーションが続きません」というご相談にお答えします

          12月の始まりです! 思えば11か月前の事、 元旦の新鮮な空気を吸い、 毎日を新年のように、 フレッシュに生きていたいと感じましたが、 無理なものは無理で、 何事にも限度ってものはあります。 しかしながら、 毎日を「今日は今日しか無い」という意識で、 丁寧に暮らすことは大切だと思います。 さて、 最近よく「運動のモチベーションが続かない」 というご相談を頂きます。 みなさんモチベーションに課題を抱える方が多いようです。 ここで先にお伝えしておきますが、 「運動のモチ

          「運動のモチベーションが続きません」というご相談にお答えします

          ととのエッセイ 「顔」

          昨日から今朝にかけて、 一気に葉が落ち、 さらに葉っぱの絨毯で一杯になった地面。 そんな森を眺めていた。 森は、毎日違う顔をしている。 人間はどうだろう? 人間にも色んな顔があるのに、 色んな顔を見せ合える場所は少ない。 毎日同じように、 元気な顔をみせてくれる「あの人」。 その陰には、 たくさんの工夫があるのだろう。 元気な人にも、 「元気じゃない顔」はあるのだから。 元気な人の「元気」は、 当たり前じゃない。 森は寒い冬を、 根を殺さず耐

          ととのエッセイ 「顔」

          ととのエッセイ「彩りを感じていたいと願う朝」

          #ととのエッセイ 11月22日、朝5時半。 かじかむ指を擦りながら、ストレッチを開始する。 ずいぶんと、身体が温まるのに時間を要す。 ようやく指の先まで血液が行き、 バスケを10分やる。 地面と身体とボールの関係性に、 全神経を集中させながら。 肩と股関節と脳が、完全に温まる。 それから倒立を10分やる。 地面と手の平と骨盤に、 全神経を集中させて、 気持ちいい場所を探しながら。 良い動きの確認に必要なのは量じゃなく、質だ。 そして、6時になりよう

          ととのエッセイ「彩りを感じていたいと願う朝」

          「ぼったくりと初対面のアミーゴと愛」

          今僕は旅の途中の新幹線にいて、 過去の記憶、そして初期衝動へと回帰しながらこれを書いている。 「将来カポエイラを真剣に続けていくのなら、就職では無くブラジルへ行こう」と決意し、2008年9月サン・パウロ国際空港に降り立った時、僕を待ち受けていたのは、大きな不安とかすかな希望そして大量のぼったくりタクシードライバーだった。 かつて奴隷貿易が行われていたという、サルバドールの市街地へのバスを降りた瞬間、知り合いなどいるわけが無い僕を指差し、「アミーゴ!」と歓迎してくれたのは、

          「ぼったくりと初対面のアミーゴと愛」

          ととのエッセイ 「朝活は恩返し」

          コロナ禍以降、朝活を始めもうすぐ4年経つ。 朝活は、僕にたくさんの気付きをくれた。 僕は、朝活は「先祖への恩返し」だと思う。 朝、森へ行き運動すると、 鳥がさえずり季節が香り、 いつもより少しまるで魔法のように 素直に自分と向き合うことができる。 自分と向き合うということは、 親や先祖から授かった「血」と 向き合うという事であり、 親や先祖が大切にしてきた「何か」と 向き合う事だと、 ある時から思うようになった。 僕は認知症の祖母と 二人暮らしをしていた時、 心無い言葉

          ととのエッセイ 「朝活は恩返し」