第10回「ヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて」(パウル・クレー『造形思考』より)
このマガジン「デザインという営みにコピーを与えてみる」では、デザインにコピーを与えるという目標に向かって「デザインを語ることば」を集めています。第9回では、矢萩喜従郎氏の「思考する織り物」を紹介しました。
さて、第10回でご紹介し、書き留めておきたいのは「ヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて」です。
「ヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて」
この言葉は、バウハウスで教鞭をとっていた芸術家パウル・クレーが、自身の講義ノートに書き記した一節です。
1921年11月21日
演習:ヴァイオリン。モデルは、チェロ1、ヴァイオリン2
最初の注意:完成したフォルムとしての、また芸術作品としての、すなわち独自の個性としての(機械でない)ヴァイオリンであること。たとえば、ピカソ、ブラック、あるいは現代のパリ派においてこれを理解せよ。あまり自信のないものたちへは、まず分析から始めることをすすめ、次いで、習得したフォルムによる自由な構図をとらせる。
ひそかに願っていること:出来るだけ自由な構図、ヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて。
結果は何よりもより多く分析的な性質が目立つ。
ーーパウル・クレー『造形思考(上)』pp.237-238
ーーヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて。
みなさんなら、クレーが学生たちに求めた「独自の個性としての(機械でない)ヴァイオリン」を、どのように表現しますか。
事実、ヴァイオリンは、次のように目に映ります。
訳者(土方定一・菊盛英夫・坂崎乙郎)たちは、ここで次のような注釈を入れるとともに、クレーによる「ヴァイオリンと弓(1939)」のデッサンを添えています。
*「ヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて」とは、目に見える外見よりも、その構造を、内的なものを、本質を、という意味である。
このデッサンは、筆者が模写したものです(プロポーションは再現していますが、線の質は劣化しているとお考えください)。
ヴァイオリン全体をやわらかくとらえなおす、絶妙なデフォルマシオン。
今回、クレーのヴァイオリンを模写することで、その凄さを体感しました。抽象化の巧みさと独創性に、唸ってしまいました。
クレーは、芸術の本質を次のように定義しています。
芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることにある。
ーーパウル・クレー「創造についての信条告白」『造形思考(上)』p162
そして、次のようにも語っています。
わたしが表面を反映させるために(そんなことなら写真でもできる)存在するのではなく、内面に深く入り込まずにいられないことを銘記していただきたい。わたしは額の上や口のまわりに言葉を書きつける。わたしの人間の顔は、現実の人間よりも本物である。
ーーパウル・クレー『造形思考(上)』p12
ーーヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて。
この言葉は、対象を自明なものとして、見えるままに捉えるのではなく、作り手が対象の中に潜り込み、独自の個性で掴みとった本質を見えるようにするということを示しています。
では、クレーは、ヴァイオリンをどのように捉え、「何を」見えるようにしたのでしょうか。
生命力の作用
クレーは、1921年から1925年頃にかけて、バウハウスでの教育活動と自身の作品制作を通して、独自の造形論を発展させました。探究テーマは、次の言葉に象徴されています。
アングルは静止を秩序づけたといわれる。
わたしはパトスを越えて
運動を秩序づけたいと思う。
パウル・クレー 1914年9月
クレーは、「全ての生成の根底には運動がある」ことを信条に、さまざまな現象を検討しました。
クレーは次のように語っています。
わたしたちの求めるのは、フォルムではなく機能である。わたしたちはここでも正確さを求める。機械が機能を持つのは当然のことだが、生が機能を持つのは、素晴らしいことではないか。(中略)
形式主義とは、機能を伴わぬフォルムをさす。(中略)
だが、生きたフォルムは別種のものである。
ーーパウル・クレー「内的なものにもとづいて探究した自然の事物 本質と現象」『造形思考(上)』pp135-137
そして、「生きたフォルム」を生み出すために重要な観点が2つ述べられています。
真の芸術家は、原生命のある点を予感し取り、二、三の生命ある原子を所有している。さらに、造形に必要な、五つの生命力ある観念上の原色を備えている。そして、真の芸術家は、灰色の小地点、ここから、カオスから秩序への飛躍の道が開けるのを知っている。
真の芸術家はまた、生殖を予感する。最初の行為について、彼はいささか知るところがある。かの諸事物を生成に赴かせると同時に、自ら流動してそれを可視的にすることについて知っている。それらの事物のうちには、その最初の行為の運動の背後に痕跡が止められており、生の魔力が潜んでいるのだ。そして、真の芸術家以外の人には、体験の魔力が。
ーーパウル・クレー「内的なものにもとづいて探究した自然の事物 本質と現象」『造形思考(上)』pp137-138
クレーは、万物に「生命」を見ています。自然物であれ、人工物であれ、その生成には何らかの秩序だった運動が作用している。無とも呼ばれる灰色の小地点「カオス」に生命が発生し、「秩序」だった造形を生成し、変化し続けるダイナミックな運動がある。クレーは、対象が持っている「原生命のある点」を見つけ出し、生命の律動を眼差し、「生きたフォルム(=生命力の作用)」を描き出そうとしているようなのです。
ーーヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて。
クレーは、表層にとらわれず、自分自身の世界観のすべてを通過させて、ヴァイオリンの「生命力の作用」を見えるようにすることを、この言葉に込めたのではないでしょうか。
そこで、クレーの「発生学」的な思想をふまえて、「ヴァイオリンと弓」がどのように描かれていったのかを解釈してみたいと思います。
「ヴァイオリンと弓」は、いかに描かれたのか(試論)
クレーの「ヴァイオリンと弓」の創作過程を分析するにあたり、クレーの以下の言葉に忠実であろうと心がけました。
わたしたちはある作品を模写しようとして、あるいはそれに疑いをかけて分析に着手するのではない。ある人が作品をつくりだしたその方法を調べるのである。それは、いろいろな方法を知ることによってわたしたち自身も制作しはじめるためである。この種のアプローチによって、芸術作品を何か凝固したもの、固定した不変のものとみる見方から救われるのだ。
ーーパウル・クレー「概念としての分析」『造形思考(上)』p.208
ここには、結果ではなく創作プロセス(=生命)を尊重するクレーの思想が見え隠れしています。
さて、いまから紹介するのは、クレーのデッサンがいかに生成されたのかを、彼の思索や筆跡、空間配置との関係から読み解こうとする試みです。
まずは、わたし自身がヴァイオリンについて知るために、写真などをみながらスケッチしてみました。正直、これらのスケッチではヴァイオリンの本質を描き出せていません。
しかしながら、「描けない」という事実によって、自分が何を描けていないのかが理解できました。
まず、これらのスケッチには、ヴァイオリンのやわらかな膨らみが捉えられていません。そして、本質よりも表層、全体よりも部分に視点が集まっているような印象を受けます。つまり、ヴァイオリンの生きたフォルムが描かれていません。その結果だと思うのですが、わたし独自の個性としてのヴァイオリンではありません。
ぜひ、わたしのスケッチが達成できていないことを覚えておいてください。クレーとの決定的な違いを理解するために役立つと思います。
それでは、クレーのヴァイオリンについて考えていきます。
はじめに、「どこから描きはじめるのか」という問題があります。わたしは自分自身でヴァイオリンをスケッチしていた時、ヴァイオリン本体の下方から描きはじめていました。
しかしながら、クレーのデッサンと向き合うためには、ヴァイオリンの「原生命のある点」がどこなのかを考える必要があるでしょう。ヴァイオリンを生命たらしめる、すべての運動を生み出す力点はどこにあるのか。
こう考えた時、弦の張力が集中する点が、ヴァイオリンの中心点として浮き上がってきます。
クレーは、この弦を張る三角ブリッジを最初に描いたのではないでしょうか。
では、次に何を描くか。クレーは次のように言っています。
まず小さな生きた機能に空間と形態とを与えること、そのときはじめて、林檎や、かたつむりや、人間の家でもそうだが、そのまわりに外郭ができる。
ーーパウル・クレー『造形思考(上)』p40
なるほど。三角ブリッジという形態が機能するために、空間を与える必要がありそうです。ヴァイオリンの構造を考えると、ここで弦を張るための土台をつくらねばならないでしょう。クレーの線にみられるトメ・はね等も考慮に入れると、次の直線を描いたと想像できます。
ヴァイオリンのお尻から、ヴァイオリンの頭にある渦巻き部分までのフォルムが一筆書きになっています。弦を迎え入れるための曲線が、全体にやわらかさを与えます。ヴァイオリンの形態を現実そっくりに写しとろうと努力しているうちは、この線をひくことはできないでしょう(わたしがそうであったように!)。
そして、弦を固定するパーツを左下に書き加え、
左から右に向かって、弦を張ります。
そのまま、糸巻き部分の輪郭を描き、
手を左側にうつして、右に向かってヴァイオリン本体のフォルムを描いていったと思われます。
ヴァイオリン本体のフォルムは、上面と側面がゆるく一体化していて、とても愛らしい。側面が大胆に省略されているにもかかわらず、側面を感じさせます。これは、ほんとうに見事な線だと思います。ヴァイオリンが持つ美しい曲線が、クレーの感覚を通して再構築されているのがわかります。
ついで、音を鳴らすために必要な穴(f字孔)を穿ちます。
f字孔は、ヴァイオリンが持つ曲線にそうように、ちゃんとパースがつけられています。これによって、わたしがスケッチで表現できなかった「生きたフォルム」が生まれています。これほど抽象的なデッサンにもかかわらず、とても具体的な現実が反映されているのです。
最後に弓を加えて、完成です。
とはいえ、実際にクレーがどのような手順でデッサンを進めたのかはわかりません。
しかしながら、クレーの思想をふまえると、三角ブリッジを起点にヴァイオリンが持つ生命を捉え、空間と形態を与えていったと考えるのも悪くないのではないでしょうか。
ヴァイオリンが描かれるプロセスを一望すると、ひとつひとつのフォルムが有機的に結合しあい、それぞれが生きた機能を持つように描かれているように感じられます。
このように、クレーが作品をつくりだしたその方法を調べることによって、クレーがヴァイオリンを生命としてとらえ、そこに自分を沈み込ませて「現実の再制作(つくることで学ぶ)」を実行したプロセスに迫ることができました。
次の写真は、クレーのデッサンを分析した際のノートです。
ここでの考察は、わたし個人の解釈にすぎません。しかし、クレーの思索や作品との対話を通して、クレーが見ていたであろう景色を、断片的に垣間見ることができたかのように感じました。
クレーの「ヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて」という言葉に込められた意思は、まさに「現実の再制作(つくることで学ぶ)」そのものです。デザインの営み、そして制作一般において心がけていきたい、ことがらの本質を探究する態度の重要性をあらためて実感しました。
おわりに
今回は、クレーの「ヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて」を紹介し、クレーのデッサンを読み解くために「現実の再制作(つくることで学ぶ)」を実践しました。その結果、クレーの言葉の意味するところを実感し、表面的には捉えられなかったクレーの個性・表現の魅力を発見する機会に恵まれました。この感動を少しでもお伝えできたなら、嬉しく思います。
今後も引き続き、わたしにとって魅力的な、「デザインを語ることば」を紹介していきたいと思います。
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