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名前を好きになるまでの時間【今日の余録】
かつて僕が勤めていた会社に、月と書いて「るな」と読む後輩がいた。初めて聞いたときは驚きより、カッコいいと思う気持ちのほうが強かったかも🙃
名前の由来を聞くと、彼女の両親の深い愛情を感じ、ただただ羨ましかった。なぜなら、僕自身の名前は、親じゃなくて祖父が決めたものだから。幼い頃にその話を聞いたとき、ひどくショックを受けたのを覚えている。さらに、”キラキラネーム”ではないにしても、当時としては少し珍しい名前だったので、友だちに名前をからかわれることが多かった。そんなわけで、自分の名前を好きになるまでには時間がかかった。
どんな名前も、時が経つにつれて本人のアイデンティティに溶け込んでいくものだ。僕のようにたとえ違和感があったとしても、名前は簡単に変えられない(変えられないかと真剣に考えたことはある)。だから最終的には受け入れるしかなかった。受け入れはしたが、おそらく、僕の心の深淵を覗くと「名前キライ」の5文字がうっすら残っている気がする。だからこそ、子どもの名前は、親のエゴよりも子どもが背負うものであることを忘れず、慎重に付けてあげてほしいと思う。
戸籍への読み仮名の記載が本格的に始まると、これまで以上に多様な名前が正式に残っていく時代になりそうだ。法務省は、「太郎」を「ジョージ」と読むような、まったく無関係な読み方にする極端な例を除き、柔軟に受理していく方針を示しているという。”キラキラネーム”もその一つかもしれないが、そこに親の想いや創意があるなら、個性重視の名前でもいいだろう。常識から外れすぎなければ、と付け加えたいところだが、これはこれで線引きがむずかしそう。
名前は一生付き合う相棒のようなものだ。生まれたばかりの子にとってはスタート地点であり、やがて自分だけの物語を積み重ねるうちに、かけがえのない存在へと変化していく。これを読んでる人たちの名前にも、さまざまなドラマが潜んでいることだろう。
「千と千尋の神隠し」、久々に見たいな。