長いものに巻かれる理由 ~象はなぜ2度巻いたのか ~【今日の余録】
「長いものに巻かれろ」の「長いもの」って象だった!?
蛇かなんかだと思っていた、というのが最初の感想。
とあるサイトで確認すると、余録に書いてある故事の説明と若干違う。
猟師が象の鼻に巻かれて運ばれていると、獅子が現れて象に襲いかかり、それを猟師が倒すという話は同じ。
しかし獅子を倒したあと、象が「もう一度猟師を鼻で巻いて歩き出す」と書かれている。
これが正しいとすると、象は獅子に襲われたとき、猟師を鼻から外していたことになる。
これはどう考えるべきか……。
個人的には、以下の3パターンを考えた。
①獅子に襲われて驚きのあまり、猟師を放してしまった。
②武器を持っている猟師に獅子退治をしてもらうため、自由にしてあげた。
③獅子の襲撃を逃れるため、囮として猟師を突き出した。
象の墓場に連れてきたのは、獅子の襲撃から助けてもらったお礼ということになっているから、②の「獅子退治をしてもらうために自由にした」が正解のようにも感じる。
しかし、果たしてそうだろうか。
象牙で儲けたという結末になっていることから、この頃すでに、象はお金儲けの対象であり、人間に狩られていた可能性が高い。
ということは、象にとって人間は害をなす生物だ。
だとすれば、自分が生き残るための手段として、害のある人間を獅子に差し出した③が正しいような気がしてくる。
などと考える僕は、長いものには巻かれたがらないタイプなのか。
とはいえ、「長いもの」がどうしたって抗えないほど大きな力を持つのであれば、従わざるをえないことだってある。
マーク・ザッカーバーグ氏が、トランプ氏の考えに迎合するような方針に転換したのも、ある意味で象の選択と似ているのかもしれない。
例えば、目の前の獅子(次期大統領)に対し、一時的に人質(理念)を差し出す戦略。もちろん、本当に降参した可能性もある。
「長いもの」に巻かれる側と巻く側、どちらにも、それぞれの思惑があるだろう。
安直に「迎合」という言葉で批判するのは、いかがなものか。