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共通の価値観は幻想? 日米同盟と戦国時代の三国同盟をつなぐもの【今日の余録】
大国アメリカが「日本は不要」と判断すれば、日米同盟なんてあっさり切り捨てられるかもしれない。「共通の価値観」といっても、しょせんは利害が合うから結びついている面が強い。アメリカ・ファーストを掲げるトランプ大統領が、日本にそれほど恩情をかけるかどうかは怪しい。やっぱり日本はアメリカの軍事拠点の一つにすぎないんじゃないか。だって日本のすぐそばには中国がいるから。なんて考えると、日本って大坂城の真田丸みたいな位置づけなのでは?🙃
そもそも日本が太平洋戦争を始めたことの罪は大きい。勝っていれば歴史は違ったかもしれないが、小さな島国が当時のアメリカやソ連、さらに欧米列強と真正面からぶつかったのは無謀だった気がする。もっとも、当時の日本は資源不足や国際的な圧力もあり、今とはまったく違う国家観や平和観を持っていた。軽々しく「戦争なんてしなければよかった」と言っても、当事者にはそう簡単じゃなかったのかもしれない。近代史は僕にとって縁遠い分野で、正直あまり深く踏み込めないのがもどかしいところだ。
一方で、僕が好きな戦国時代の同盟は、まさに利害を調整しながら生き残るための現実的な策だと感じる。たとえば武田氏・北条氏・今川氏の甲相駿三国同盟は、三者がそれぞれ信濃・関東・東海方面へ集中できるように手を結んだ。しかし、今川義元が桶狭間で織田信長に敗れ、三者の状況が少しずつ変わっていく。とはいえ三者が一気にバラバラというわけでもなく、その時々の状況に応じ、手を組む最適な相手を選びながら、戦国時代を生き抜こうとしていた。その柔軟さには、ある種のしたたかさと哀愁が混ざっていて、この時代の面白さの一つだと思ったりする。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という三英傑の台頭により、甲相駿三国同盟を結んでいた面々は力を完全に失う。生き延びるために最良の同盟を組んでも、さらに強い存在が現れれば終わりは避けられない。そんな無常さを思うと、現代の国際関係も案外似たようなものじゃないか、と考えてしまう。共通の価値観をうたっていても、いざ利害がぶつかれば裏切りが起き、情け容赦ない結末を迎えることもあるだろう。そこに歴史の面白さと切なさがあるとは思うが、今の時代は平和であってほしい。できれば、何事も平和裏に進めてほしいものだ。