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「デザイン」の起源について

「デザインとは何か」という問いには、様々な人が答えを示していますが、少なくとも日本では、まだ一定の合意には至っていません。元々「デザイン」に当たる言葉を持っていない日本人にとっては、英語圏の人々とは違い、感覚的に理解するのは難しいものがあります。そこで、デザインの歴史を紐解くことから、デザインを理解してみようと思います。

デザイン自体の歴史はそれほど深くなく、19世紀半ばのイギリスがはじまりです。当時、産業革命の影響で多くの産業が急速に機械化し、職人の美しい手仕事や手作りの歓びは次第に衰退しつつありました。しかし、現代とは当然異なり、機械でシステマチックに製造される製品は、安価である代わりに粗悪なものが多い状況でした。こうした近代化の反動として、手仕事の素晴らしさを見直そうとする「アーツ・アンド・クラフツ運動」が、イギリスをはじめ、ヨーロッパ各地で勃興しました。この運動の主導者の一人である芸術運動家のウィリアム・モリスは、仲間の画家や建築家とともに、伝統的な技法や自然の素材を重視し、華やかな装飾を施した家具や内装の製作を手がけ、「design」の概念を世に提唱していきました。彼は次のような言葉を遺しています。

“役に立たないもの、
美しいと思わないものを
家に置いてはならない”

注目すべきは、「役に立たないもの」という言葉。「アーツ・アンド・クラフツ運動」は、大量生産品の無機質さvs手仕事の装飾の美しさという対立構造で捉えられるのが一般的ですが、ウィリアム・モリスの言う「design」は装飾的な「見た目」の話に限ったものではないことが窺えます。そしてこの運動は、柳宗理の民芸運動、その系譜にあって戦後の大量消費の時代に登場した無印良品へと影響していきます。無印良品でアートディレクターを担当する原研哉氏は、著書『デザインのデザイン』で、次のように語っています。

“デザインは基本的には(芸術と違い)
個人の自己表出が動機ではなく、
その発端は社会の側にある。
社会の多くの人々と共有できる問題を発見し、
それを解決していくプロセスにデザインの本質がある”

ウィリアム・モリスの「役に立つ」という要素は「問題解決」という要素に昇華され、さらにその問題は社会と共有されるべき社会課題と捉えられています。同書の初版は2003年ですので、すでに15年以上前には「デザインって見た目のことじゃなくて問題解決だよ」と明確に宣言していることになります。原研哉御大、おそるべし。そもそも「デザイン」という言葉の語源は、「disignare(デジナーレ)」というラテン語で、これは「計画を記号に表す」という意味だそうです。見た目を美しくするという意味はそこにはなく、未来に対する何らかの企てが意味の中心になっています。
「デザイン」をめぐるこうした系譜をたどってみると、「デザイン/design」は例えば次のように定義することができます。

デザインとは、
論理と感性の両面を使って、
より本質的な課題を探し当て、
より効果的な未来を計画する思考技法である。

課題発見の要素と未来計画の要素に、「論理と感性」の要素を加えました。これはコンサルティング企業が考案してきたフレームワークとの区別を明確にすることと、一般にクリエイターと呼ばれる人種との親和性の高さを示唆することを意図しています。
ちなみに僕が経営しているStudies Inc.というデザインオフィスでは、「デザイン」を上記のように広義に捉え、「デザインにできること」をどんどん拡張・実証しようとしています。経営ビジョンを設計すること、マーケティング戦略を構築すること、働く人のモチベーションに火を灯すこと・・・ビジネスをめぐるあらゆる営みに「デザイン」は使えるんだということを、日本でもっと証明していきたいと考えています。

僕はもともと広告代理店でコピーライターとして働いていたのですが、今まで「デザイン」というものについてぼんやりとしか捉えていませんでした。デザインの会社を立ち上げよう!と思い立って初めて、「デザインとは何か」ということを深く考えるようになりました。そして、「デザイン」の起源に迫ることで、ぼんやりとしていた、本来の姿が見えてきたような気がします。ぼんやりと何かを掴もうとするとき、元をたどるというのは一つの強力な有効策だなと、つくづく感じます。

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