岡康道と佐々木宏と、TVCMの蜜月。
タグボートの岡康道とシンガタの佐々木宏。二人が20世期末から21世紀にかけての日本広告界の巨人であることに異論を挟む人間はいないだろう。
電通から独立しタグボートというクリエイティブブティックをつくり上げ、秀逸なTVCMを連発しドラマ「恋のチカラ」のモデルにもなったトップクリエイターの岡、そしてソフトバンク白戸家を産み出し、リオオリンピックの閉会式でもその手腕を発揮した佐々木。
広告業界外にも知れ渡る2人の巨人だが、その作品性の違いもあり、これまであまりその接点が見えてこなかった。
今回、岡康道の逝去から1年を経て開催された「岡康道展」を通して、この2人の関わり、そして共作があることを改めて知ることになった。そこで、以前から頭の中にあった、岡と佐々木の作品を通した90-00年代における広告史(のようなもの)と、2人の作品の特性をいずれも予見するような95年の共作についてを記してみようと思う。
岡康道と90年代の広告
90年代はTVCMの黄金時代である。バブル崩壊の余波を受けて、90年代初頭に一度退潮したテレビ広告費だが、93年を境に再浮上し、97年には2兆円を越え他メディアの追随を許さないレベルになる。
岡康道がスタークリエイター街道を邁進したのはこの時代だ。TVCMの中でいかにしてアテンションを獲得するかが中心の時代。クリエイターたちが様々な方法を模索する中、岡が志向したのは「会話」である。
通常広告が伝える歯の浮くような会話ではない。白でも黒でもない淡いの会話。本音を含んだトゲのある会話。それらを、時にユーモラスに、時に物悲しげに、あるいはそのどちらもが共存し表現された珠玉の作品群を通して彼は頭角を表した。フジテレビが、いるよ。、家庭教師のトライ、南アルプスの天然水。展開されるダイアローグ・モノローグがコピーや企業・ブランドに落ちる瞬間の快楽も含め、作品としてもブランドマーケティングとしても極めて秀逸なものを示してきた。
しかしそんなウェルメイドな作品群をかき分けて、タグボートにもつながる岡の作家性を決定づけたのが97年のJ-PHONEのCMだろう。このCMは広告業界のみならず、日本の当時の文化状況に強い影響を及ぼした。
本CMは、香港ノワールのような世界観を永瀬正敏とキャシーチャウで持って再現するという形で、当時サブカルチャーとして扱われていたクールでビビッドな映像世界をお茶の間に対して強大なGRPを持って届けた。
一切と言っていいほど企業やサービスのことを伝えない挑戦的なコミュニケーションだと今をもって思う。このコミュニケーションを会社として行うことができるJ-PHONEが、ドコモやツーカー(当時のキャリア。現在のau)と比して遥かに挑戦的なブランドに映るという、一種のメタな視点でのマーケティングともとれる。
インディ・オルタナティブ・ストリートがメジャーへと浮揚する90年代後半の空気を、ここまで鮮やかに形にし、そして巨大資本に乗っけたという意味で広告業界に限らず遥かに広い射程で評価されるべき作品だ。
タランティーノ的なズラした会話の応酬や、本題が何か一見してわからないつくり、演劇系を中心とした芸能界的でないキャスティング、サブカルチャーの引用、彼の90-00年代前半のCMプランナーとしての手数は、日本の先端的な文化状況そのものだった。
バブルは崩壊したものの、TVCMを中心とした広告費は右肩上がりだったあの頃、TVCMが文化の中心、そして最先端たり得た時代があったのだ。その時代の最大の幸福的な成果が岡康道の作品群である。
佐々木宏と00年代の広告
しかして、インターネットのメディア的影響力が増し、一方でテレビのそれは低下した00年代後半以降、TVCM単体での作品性は、広告主からそれまでより強く求められなくなっていった。良質なストーリーと、ストーリーからタグラインに落ちる秀逸な構成と、そう行った作品の作り手は、TVCMが広告のほとんど全ての時代にはあまねく重用されたが、以降、時代の真ん中からは少しずつ後退していく。
メディアに加え、商品サービスも多様化し始めた時代。いち作品内で完結する秀逸なストーリー・ダイアローグ・コピーよりも、メディアを横断してあらゆる広告活動を横串して利活用できるスローガン・運動体・アイコンのような「広告フレーム」を開発できる作り手がより重用されるようになった。
その担い手が佐々木宏だ。
佐々木の作品は、特に00年代の後半、ソフトバンクの白戸家を手掛けて以降その傾向に拍車がかかる。
グリコ「OTONA GLICO」、トヨタ「Reborn/トヨタウン」などなど、ポップなアイコンをキャンペーンの真ん中に据えて、あとはどんなメッセージも呑み込めるような懐の深いキャンペーン設計は、メディアも商品も課題も、全てが複雑化し始めた時代において強く希求されたものだった。
岡康道と佐々木宏の共作
斯様に、岡と佐々木はTVCMのトップランカーとして歩み続けながらそれぞれに異なるスタイルでそれぞれに時代を作ってきた。
岡はいわば1つのCMのなかに精緻な世界観を構築し、見るものに思考を促す、ある種の作品主義を徹頭貫いた。一方の佐々木は、広告がブランドや企業のすべてを包含し、また社会・世の中を巻き込みながら進んでいくような運動体を志向した。のちにオリンピックのプロモーションに関わるのもむべなるかな、という感じである。
広告の内と外、どちらを究めるか、その差が2者には垣間見える。
だからこそこの2人に強い接点があるとは思わなかったのだ。
しかし、実際には岡と佐々木は電通時代の先輩・後輩(佐々木が3年先輩)であり、共に他部署(岡が営業、佐々木がメディア)からクリエイティブに異動してきた共通点を持ち、岡は異動後しばらく佐々木の部下だった。(しかもそもそも二人は高校の同窓生なのだ!)
そんな二人の蜜月の時代。共に制作したTVCMキャンペーンがいくつかある。そのうちこれから紹介する「モルツ球団」は、まさに上で述べた2人の特徴を併せ持つ今見ても秀逸な作品である。展示会場でこのCMを見て、佐々木が岡に向けて書いた文章を読んだとき、思わず膝を打った。
サントリーモルツを広告するために、OB選手を集めたモルツ球団を結成する。その現実を侵食するフレームワークはまさに佐々木の後年見せる作品群を思わせる(実際にモルツ球団が毎年組成されて、サントリードリームマッチにて試合をするという展開も含め)。さらに面白いのはTVCM自体、モルツ球団の存在を所与のものとして取り込み、球団選手(江川卓など)の現実のストーリー(江川の場合、空白の1日)と市井の人々の目線を重ね合わせる秀逸な構成があり、ここには岡の巧みな技が垣間見える。まさに二人の巨人の幸福な邂逅と言える。
岡康道と佐々木宏、二人が築き上げてきたものは日本の広告史そのものだが、その原点に近いところには2人の作家性の発露が見られた。
2019年の宣伝会議での2人の対談には岡の、
今はしっかりとしたフレームをつくって年間で回していくということが提案しづらい状況にあります。フレームをつくるにはコアなアイデアやコピーが必要で、それを固めておけばいろいろ拡散できるはずなんだけれど、そういうプレゼンが今は通りにくくなりました。競合で勝つのは、幼稚なキャラクターものが多い。デジタルで使い勝手がいいから。
という発言が残っている。
00年代から今日に至りさらに広告主、社会、メディアのあり方はさらに変容している。さながら(これまでの)広告受難の時代とも言える。岡がまだ生きていたならば、どんな広告をつくっていただろうか?あるいは、佐々木との共作がまたどこかで見られたのかもしれないと思うと、改めて悔やまれてならない。
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